建畠覚造(読み)たてはた かくぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「建畠覚造」の解説

建畠覚造 たてはた-かくぞう

1919-2006 昭和-平成時代の彫刻家
大正8年4月22日生まれ。建畠大夢長男。昭和16年文展で特選。25年行動美術協会の彫刻部創立に参加。42年「壁体」で高村光太郎賞,56年「CLOUD-4」で中原悌二郎賞,平成2年芸術選奨。具象から抽象へと移行した。昭和34年多摩美大教授。平成17年文化功労者。平成18年2月16日死去。86歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「建畠覚造」の意味・わかりやすい解説

建畠覚造【たてはたかくぞう】

彫刻家。東京生れ。父は彫刻家建畠大夢(たいむ)。東京美術学校卒。1941年文展特選。1950年行動美術協会結成に参加。1952年から2年間渡仏し,作品発表金属,木を使用したダイナミックな立体造形を見せる。モニュメント仕事も多い。1992年《建畠覚造作品集》を出版。2005年文化功労者。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む