日本歴史地名大系 「当目村」の解説 当目村とうめむら 石川県:鳳至郡柳田村当目村[現在地名]柳田村当目町野(まちの)川最上流部にあり、三筋の谷に沿って集落が散在する。北東は黒川(くろかわ)村、北は大箱(おおばこ)村。村内には極楽寺(ごくらくじ)・中組(なかぐみ)・堀久保(ほりくぼ)・小箱(こばこ)・修理田(しゆりた)・田代(たしろ)(多四郎)の字名があるという(鳳至郡誌)。現在は兜地(かぶとじ)・蓮花坊(れんげぼう)・中組・極楽寺・田代に分れ、兜地には尻田(しりた)(修理田)・尻田谷内(しりたやち)・小箱、蓮花坊には亀田原(かめだわら)、中組には向谷(むかいたに)、極楽寺には敷平(しきだら)・千徳(せんとく)・駒寄(こませ)・向峠(むかいとうげ)、田代には滝谷(たきだに)の集落がある。庄園内の開発の進展に伴い作人層の独立や、名主一族からの独立により新しい名主層が台頭し、これを当名主とよんだ。この当名主が村名の起りと伝える。木地師の伝承が村内各地に残り、鍬柄・杓子の生産が盛んで、製品は輪島へ運ばれた。 当目村とうめむら 滋賀県:東浅井郡浅井町当目村[現在地名]浅井町当目飯山(いやま)村の南西、草野(くさの)川右岸に位置。北部山地に当目古墳群がある。鬼が出たとの伝承をもつ八条(はちじよう)岩は条里の八条の地点に位置するとされ、焼屋(やけや)は草野庄の役所が焼失した跡とされる。役名の別当・目代が村名の起りともいわれる。慶長二年(一五九七)二月二九日の売券(草野文書)に当目とみえる。寛永石高帳によれば高二七五石余。正保郷帳では山城淀藩領。元禄郷帳では旗本小堀正十領で、天明期(一七八一―八九)までは同領(天明村高帳)。文政石高帳では幕府領となるが、天保八年郷帳では旗本小堀弥三郎領。貞享三年(一六八六)草野川北の当村・大門(だいもん)村・乗倉(のせくら)村の三ヵ村と川南の北郷(きたのごう)村以下八ヵ村との間で分水をめぐる相論があり、干水の節は見分のうえ水を一三分し、一分を川北三ヵ村に、一二分を川南八ヵ村に分けることとなった(中村文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by