後藤蔵四郎(読み)ゴトウ クラシロウ

20世紀日本人名事典 「後藤蔵四郎」の解説

後藤 蔵四郎
ゴトウ クラシロウ

明治〜昭和期の郷土史



生年
元治2年1月(1865年)

没年
昭和20(1945)年7月1日

出生地
出雲国松江(島根県松江市)

学歴〔年〕
東京物理学校卒

経歴
公費生として島根県師範学校に学ぶが、公費生制度の廃止により半年で退学。のち教員検定試験に及第し、島根県下の小学校訓導や校長を歴任した。明治23年上京して東京物理学校に学び、卒業後は22年間に渡って松江中学で物理・地理を教授。次いで杵築中学に12年間勤務した。教師を務める傍ら郷土の歴史や民俗を研究し、「出雲国風土記」に関する論考などを発表。また、隠岐に配流された後醍醐天皇の行在所の所在を巡り、野津左馬之助と論争を行った。著書に「出雲風土記註解」「出雲方言考」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤蔵四郎」の解説

後藤蔵四郎 ごとう-くらしろう

1865-1945 明治-昭和時代前期の教育者,郷土史家。
元治2年1月生まれ。郷里島根県下の小学校訓導をへて東京物理学校(現東京理大)を卒業し,松江中学などで物理,地理学をおしえる。「出雲国(いずものくに)風土記」など郷土史を研究し,隠岐(おき)の後醍醐(ごだいご)天皇行在所について持説を主張した。昭和20年7月1日死去。81歳。著作に「出雲風土記註解」「出雲方言考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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