日本大百科全書(ニッポニカ) 「徐庶」の意味・わかりやすい解説
徐庶
じょしょ
生没年不詳。中国、後漢(ごかん)末、劉備(りゅうび)・曹操(そうそう)の幕僚。字(あざな)は元直(げんちょく)。当時の名士としては珍しく豪族の出身ではなく、若年のころは剣を得意とし、人のために敵(かたき)を殺した。仲間に救出されたのちに、一念発起して荊州学(けいしゅうがく)という儒教を学び、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))や崔州平(さいしゅうへい)と交友した。荊州の劉表(りゅうひょう)のもと、客将となっていた劉備に仕え、諸葛亮を推挙した。しかも、劉備に自ら諸葛亮を訪ねるように勧め、三顧(さんこ)の礼を尽くさせた。劉備が名士の名声を尊重することを、三顧の礼という形により表現させたのである。これにより、劉備の集団は、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)らの武力に依存する傭兵(ようへい)集団から、諸葛亮ら「名士」を中心とする集団へと変貌(へんぼう)した。やがて、荊州に侵攻した曹操に母を捕らえられ、やむなく曹操に仕え、右中郎将(ゆうちゅうろうしょう)・御史中丞(ぎょしちゅうじょう)となった。『三国志演義』では、自らが曹操に仕えるかわりに諸葛亮を推薦したことになっており、徐庶と諸葛亮とがともに劉備に仕えていた史実よりも、三顧の礼のわかりやすさを優先している。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』