御墓山古墳(読み)おはかやまこふん

日本歴史地名大系 「御墓山古墳」の解説

御墓山古墳
おはかやまこふん

[現在地名]天理市上総町小字御墓山

上総かんさ集落東方にある北面する全長約六七メートルの前方後円墳。墳丘は畑として削平され、わずかに平面プランから古墳時代中期の築造と推定される。王墓おうはか山ともよばれ、江戸時代に景行天皇陵にあてられたこともあったが、今はくびれ部に鎌倉時代頃のものと思われる石造宝篋印塔二基と層塔一基が立つ。長尾宗著「大和名所和歌集」には「山辺道上陵字王塚山、垣九十三間廻、年貢垣内二石 山辺郡上総村ニ有」、「和州旧跡幽考」には「俗に王墓山といふ。一基は東の山にあり。俗にうはなり山とも、みゝづか共いふ。


御墓山古墳
おはかやまこふん

[現在地名]上野市佐那具町 天王下

南宮なんぐう山から北に派生した丘陵末端部に、前方部を北北西に向ける丘尾切断型の前方後円墳。国指定史跡。全長約一八〇メートル、県内最大の墳丘規模で整美な段築がみられる。墳丘には人頭大の葺石が施され、埴輪円筒・形象埴輪が遺存する。東側くびれ部後円部寄り上部には造出し状の平坦地があり、後円部南部を周濠が半周する。後円部中央には盗掘による落込みがあり、内部構造は不明。築造時期は、未発掘で不明な点も多いが、墳丘形態から五世紀初頭と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「御墓山古墳」の解説

みはかやまこふん【御墓山古墳】


三重県伊賀市佐那具町にある古墳。上野盆地北東部の柘植(つげ)川左岸、南宮山北東の丘陵先端部に位置する前方後円墳で、敢国(あえくに)神社の祭神、大彦命(おおびこのみこと)(孝元天皇の第1皇子で、生母は皇后鬱色謎命(うつしこめのみこと))の墳墓といわれる。全長は190m、後円部の径約110m、高さ14m、前方部の幅約80m、高さ10mの三重県最大の規模を誇り、築造時期は5世紀後半初頭と推定されている。墳丘には段築があり、人頭大からこぶし大の葺石(ふきいし)が全面に見られ、円筒埴輪(はにわ)や形象埴輪が確認されていて濠の跡もあるが、埋葬施設の構造については不明である。1921年(大正10)に国の史跡に指定され、周辺の陪塚(ばいちょう)も含めて1970年(昭和45)に追加指定を受けた。JR関西本線佐那具駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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