日本歴史地名大系 「御舟手」の解説 御舟手おふなて 愛媛県:宇和島市須賀浦御舟手[現在地名]宇和島市藤江須賀(すが)浦にあった宇和島藩の藩船の港。現藤江(ふじえ)に船奉行の屋敷の一部のみが現存する。元禄一六年(一七〇三)七月の城下町絵図によると、船大工(ふなだいく)町と須賀浦との間を須賀川が流れ、浄念(じようねん)寺から西の山沿いに水主(かこ)の長屋が七区画、蔵屋敷が二つ、海側に御船作事場がある。その西に続いて、山側に船奉行の屋敷と一〇軒程度の侍屋敷があり、海側に船入場として防波堤に囲まれた港が設けられ、最西端に灯明台とみられる建物がある。文久二、三年(一八六二、三)頃の城下町絵図によると、御船手の前方の海は須賀新田・樺崎(かばさき)新田、さらにその沖に下村(しもむら)新田・富包(とみつづみ)新田・山下新田が造成されている。 御舟手おふなて 愛媛県:北宇和郡吉田町立間尻浦御舟手[現在地名]吉田町立間尻現在の吉田町の市街地のほぼ南端に位置し、吉田港に接する東部を俗称で御舟手とよぶ。もと吉田藩の御舟手役所とそれに付随する施設のあった場所で、軍船もここに係留されていた。御舟手役所の門は東面し、門前には船中において中之間格を与えられた三船頭(高月・矢野・宮本)の住居があった。これを取り巻くように御水主(おかこ)組の住宅が並び、東南海蔵(かいぞう)寺門前には御水主組の住宅に隣接して、家名を許された御船大工(林)の家があった。御舟手役所と宇和島へ向かう道との間は竹矢来で仕切られていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by