五十鈴川の別称であるが、とくに逢坂峠に発し、内宮の南を西流して本流に注ぐ島路川をいうこともある。「倭姫命世記」に「五十鈴之河上仁幸、于時河際仁志天、倭姫命御裳裔長計加礼侍介留於洗給倍利、従其以降際、号御裳須曾河也」と名称由来が記されるが、内宮の南を裳のように回り流れるための名ともいう。「延喜式」(神祇)斎宮寮の三時祭禊の項に「参
太神宮
、禊
」とあり、内宮に参入する斎王が禊をする川であった。「吾妻鏡」建長二年(一二五〇)三月二〇日条は、去月四日の大神宮祈年祭例日に北条時頼が幣物を奉ったが、その使者の参宮の折に「御裳濯河水色如
紅、経
一日一夜
皈
本流
」という異変があり、「去承久三年有
此奇特等
云々」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…志摩半島のほぼ中央やや南よりの剣峠(343m)に源を発し,神路(かみじ)山東麓を経て伊勢神宮(内宮)域を通り,河口近くで分流しその一つは汐合(しあい)川といわれる感潮河川となって伊勢湾に流入する。御裳濯(みもすそ)川,宇治川などとも称される。全長24km,流域面積85km2。…
… 洗濯は服装の文化と相関関係にあり,服装が変化すると同時に洗濯の仕方,新しい洗剤の誕生,のり(糊)のつけ方,仕上げの方法とその道具までが移り変わりながら現在にいたっている。
【歴史】
[日本]
伊勢神宮の五十鈴川は,神鏡を奉持した倭姫(やまとひめ)命の衣の裾が水に浸ったところから,一名御裳濯(みもすそ)川と呼ばれていた。この川は神前潔斎の川であった。…
※「御裳濯川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」