の
年、漸く
黨の論
る。昭宗の時に
んで、盡(ことごと)く
の名士を
し、或いは之れを
河に投じて曰く、此の輩
、濁
に投ずべしと。而して
に
びたり。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…当時3万人といわれる太学の学生や,地方では郷里制社会を宦官らの害から守ろうとする豪族や庶民にいたるまで反政府の清議(せいぎ)(世論)の輪は広がり,彼らは中央や地方の清節な官僚をみずからの代表として支援した。このような一派を清流とよび,宦官を濁流という。これに対して宦官は桓帝を動かし,166年に清流の誉れ高い李膺(りよう)(110‐169)ら200人を政治を誹謗(ひぼう)した罪で検挙し,彼らを党人と名づけて終身禁錮すなわち任官権剝奪処分とした。…
※「清流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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