《日本書紀》垂仁朝に語られる伊勢神宮起源譚の主人公。垂仁天皇の娘,日本武(やまとたける)尊のオバにあたる。崇神朝に宮廷内からいったん倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に遷されていた天照大神(あまてらすおおかみ)は,垂仁朝によりよき宮処を求めて東国諸国を遍歴した末,大和の東方伊勢度会(わたらい)の地に鎮座することになった。このとき大神の御杖代(みつえしろ)となったのがヤマトヒメであった。ヒメは景行朝まで伊勢神宮にあり,ヤマトタケルの西征東征にあたり,あれこれと助力する。
上述の神宮起源の話は斎宮の起源譚でもある。神宮成立とともに天皇家の祖神アマテラスに仕えるために選ばれた未婚の皇女ヤマトヒメは,神話的な初代斎宮にほかならない。斎宮は,名目的には国家的最高巫女であったが,実質は国家成立以前に兄弟のかたわらで呪的霊能をもって一族を宗教的に支配していた姉妹を遠ざけ,男首長が支配権を一元化する方策の,天皇家における具体化が斎宮制であったといえよう。斎宮は天皇の姉妹ではなく娘だが,これは系譜関係が横から縦へおきかえられたものである。古代に霊的に結ばれていた兄弟姉妹の関係に代わりうるのは父方オバとオイであった。ヤマトヒメがヤマトタケルをいったんは救いえたのは,斎宮ヤマトヒメを通じて発揮されるアマテラスの神威と,オイを守護しうるオバの霊能とが重なっていたのだとも考えられる。
執筆者:倉塚 曄子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
垂仁(すいにん)天皇の皇女。母は皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。垂仁天皇25年、それまで倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)で天照大神(あまてらすおおみかみ)を奉斎していた崇神(すじん)天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にかわって奉仕、さらによい鎮座地を求めて伊賀、近江(おうみ)、美濃(みの)、尾張(おわり)を経て伊勢(いせ)国五十鈴(いすず)川上に遷座したと伝承される。また、景行(けいこう)天皇の時代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の途中伊勢に寄ったとき、神意を受け草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、「慎みて怠ることなかれ」と戒めて尊の危急を救ったと伝承される。現在三重県伊勢市倭町にその御陵伝承地があり、皇大神宮別宮の一として倭姫宮が1923年(大正12)創建された。
[鎌田純一]
(佐佐木隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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