徳富村(読み)とくどみむら

日本歴史地名大系 「徳富村」の解説

徳富村
とくどみむら

[現在地名]熊山町徳富

小瀬木(おせぎ)村の南、小野田(おのだ)川西岸にあり、集落は大盛山東麓。古くは長福寺(ちようふくじ)村と称していたが、享保元年(一七一六)徳川吉宗が将軍になった時、長子の名と同じであったので改称したという(吉備温故秘録)。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の川田(かわた)庄に長福寺村がみえ、寛永備前国絵図でも長福寺村として高一三〇石。「備陽記」によれば山寄り川端集落で、岡山京橋(現岡山市)まで道程五里二〇町、船路は倉安(くらやす)川通り岡山一歩蔵(現同上)まで六里二三町。田畠一四町二反余、家数一六、人数九二、高瀬船・猟船三。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高三四六石余、蔵入。


徳富村
とくどみむら

[現在地名]諸富町大字徳富字徳富

東は筑後川に注ぐ大堂(おおどう)川を挟んで道海島(どうかいじま)(現福岡県大川市)と接する。

正保絵図に村名がみえる。慶長絵図には「走津 高千五百三十五石二斗四升七合」とみえ、貞享四年(一六八七)改の郷村帳は徳富村の記載はなく、橋津(はしづ)村を独立村としている。この橋津村と徳富村が同一の地域であることは、貞享四年改の郷村帳の橋津村の小字と天明三年(一七八三)郷村帳の徳富村の小字が同じであることによってわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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