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徳川治宝 とくがわ はるとみ

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美術人名辞典の解説

徳川治宝

江戸後期の紀伊和歌山藩主。重倫の次男、治貞の養子。幼名は岩千代。十代藩主に就任以来、藩学振興のため、湊に学習館・医学館、江戸に明教館を設置するなど文武の発展に努めた。仁井田好古に『紀伊続風土記』新撰を命じる。従一位に叙され、大納言に任じられる。著書に『秘鑑』がある。嘉永5年(1852)歿、(公表は嘉永6年)、82才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川治宝 とくがわ-はるとみ

1771-1853* 江戸時代後期の大名。
明和8年6月18日生まれ。徳川重倫(しげのり)の次男。徳川治貞(はるさだ)の養子となり,寛政元年紀伊(きい)和歌山藩主徳川家10代。学習館,医学館など藩校をたて学問を奨励。堀江平蔵を登用して藩政改革を推進。隠居後も藩政の実権をにぎる。茶人としても知られた。従一位,権(ごんの)大納言。嘉永(かえい)5年12月7日死去。82歳。号は楽只。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

徳川治宝

没年:嘉永5.12.7(1853.1.16)
生年:明和8.6.18(1771.7.29)
紀州徳川家第10代藩主。8代藩主重倫の次男。母は側室おふさ。幼名岩千代。江戸に生まれ,のち9代藩主治貞の養子となる。19歳で襲職後,藩政改革に意を用い,財政立て直し,藩学と文化事業の興隆に実績を残した。従来徳川吉宗の著とされた『紀州政事草』と『紀州政事鏡』も,治宝の著ではないかと推定される。文政6(1823)年の紀州大百姓一揆の翌年,藩主の座を譲って隠居するが,その死去に至るまで,藩政に隠然たる力を振るった。天保8(1837)年,従一位に昇叙の報が届いたとき,たまたま昼の膳についていた治宝は「これにましたるうれしさはなし,おれはもうめしはくはずともよし」といい,「一位とはもはや神の位なるぞ」といってうれし涙を流したと『小梅日記』は伝えている。<参考文献>遊佐教寛「徳川吉宗の紀州藩政と二冊の偽書」(『和歌山県史研究』13号),『和歌山市史』2巻,『和歌山県史』(近世編)

(藤田貞一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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