徳川 茂承
トクガワ モチツグ
- 肩書
- 貴院議員
- 生年月日
- 弘化1年1月15日(1844年)
- 出生地
- 江戸
- 経歴
- 安政5年和歌山藩主徳川斉橿の養子となり襲封、将軍家茂から茂の一字を与えられ茂承と改名。参議に任ぜられ、6年権中納言となる。慶応2年長州再征の先鋒総督として広島に出陣、芸州口と石州口の戦闘を指揮したが、石州口戦線で敗北。家茂の死去に伴い15代将軍に推されたが固辞し、一橋(徳川)慶喜を推薦した。4年東海道総督に出兵を命ぜられ会津攻撃に参加した。明治2年和歌山藩知事に就任。17年侯爵。また貴院議員を務めた。
- 没年月日
- 明治39年8月20日
- 家族
- 父=松平 頼学(西条藩主)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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徳川茂承 とくがわ-もちつぐ
1844-1906 幕末-明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)15年1月15日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)西条藩主松平頼学(よりさと)の7男。徳川慶福(よしとみ)(のちの14代将軍家茂(いえもち))の跡をつぎ,安政5年紀伊(きい)和歌山藩主徳川家14代となる。第2次幕長戦争では幕府軍の先鋒(せんぽう)総督。津田出(いずる)を登用して藩政改革を実施。のち侯爵,貴族院議員。明治39年8月20日死去。63歳。初名は頼久。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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