徽安門院 きあんもんいん
1318-1358 鎌倉-南北朝時代,花園天皇の第2皇女。
文保(ぶんぽ)2年生まれ。光厳(こうごん)天皇の妃。崇光(すこう)天皇,後光厳(ごこうごん)天皇の養母。建武(けんむ)4=延元2年内親王となり,准三宮(じゅさんぐう)および院号をうける。京極派の歌人として知られ,「風雅和歌集」に30首,「新千載和歌集」に2首のこしている。延文3=正平(しょうへい)13年4月2日死去。41歳。名は寿子。
【格言など】雁のなくとほちの山は夕日にて軒ばしぐるる秋のむらくも(「風雅和歌集」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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徽安門院
きあんもんいん
[生]文保2(1318).京都
[没]正平13=延文3(1358).4.2. 京都
花園天皇の皇女寿子内親王。母は宣光門院藤原実子。光厳天皇の後宮に入り,延元2=建武4 (1337) 年准三宮となり,同年院号をこうむって徽安門院と称した。その所生がなく,崇光天皇,後光厳天皇の養母となった。『風雅集』『新千載集』などに歌を載せている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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