忌部庄(読み)いんべのしよう

日本歴史地名大系 「忌部庄」の解説

忌部庄
いんべのしよう

江戸時代に編纂された「応仁武鑑」の細川右馬頭持賢の所領として「阿波 忌部庄三百町」とみえるのが唯一の史料である。このため正式に立券庄号の手続を経た庄園であったかどうかは確定的ではない。ただし、もし庄園として実在していたとすれば、古代の麻殖おえ郡忌部郷(和名抄)の地に成立したものと思われる。古代忌部郷は大化前代起源を有すると考えられる部民としての忌部が居住した地域とみられ、忌部は「古語拾遺」「延喜式」などによると、氏役として大嘗祭に際して荒妙を初めとする由加物を貢進することになっていた。現在の山崎忌部やまさきいんべ神社が忌部氏の祀った神社と考えられること、独特の石室の形態から、忌部氏の墳墓とする見解がみられる忌部山いんべやま古墳群が山崎の忌部山に所在することなどから、山崎を中心とする地域であったと推定される。


忌部庄
いんべのしよう

興福寺一乗院領荘園。寛元三年(一二四五)の一乗院実信御教書(天理図書館保井文庫)に、

<資料は省略されています>

とあり、山本やまもと庄とともに興福寺西金さいこん堂が預所。越智郷段銭算用状(春日神社文書)では、当庄は三町三段。所在は荘号からみると現忌部町であろう。ほかに護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)に「諸郷分奉加銭」として「一貫文上、忌部庄」、欠年の預所押領目録(同文書)に「忌部庄越智方へ押領」とある点からみると、多武峯とうのみね寺領もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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