合議体,より広く集団ないし多数人の集合における意思形成の方法として多数決がとられるとき,超越的な権威が存在せず,それぞれの主張が価値的に対等であるということを原理上前提としている。その際,多数決に先行する討論によって,さまざまの主張が互いに説得し説得される過程を経たうえで多数意思が形成されることによって,より正しい解決に接近できるはずだという期待が維持されているところでは多数決は円滑に機能する。そのためには,互いに説得し説得される可能性,すなわち,考え方の互換性が存在していなければならない。今日の統治機構のなかでの多数決の機能をみると,裁判過程における陪審の評決のように,事実の認定をめぐって,陪審員たちのあいだには,たとえ困難ではあっても互いに説得し説得される可能性が残されている場合もある(アメリカ映画《十二人の怒れる男》は,1対11だった判断の分布が,その1人の説得の努力によって12対0に逆転していく過程を描いている)。しかし,多数決の最も主要な舞台というべき議会の活動についてみるならば,かつてのように,〈財産と教養〉を基礎として基本的に同質の土俵に立ったうえで議員自身の意見をたたかわせる討論の場は消滅している。
1880年代のイギリス議会で,アイルランド問題が紛糾するなかで討論終結制が採用された(採決)が,議会での討論に対する信頼の崩壊がより全機構的にあらわれてきたのは,両大戦間期,とりわけドイツにおいてであった。そこでは,社会的緊張,とりわけ階級対立が議会に反映し,党議によってあらかじめ縛られた議員たちのあいだには相互説得による考え方の互換性は成立しなくなった。こうして,討論と結びついた議会での多数決,すなわち議会制民主主議が否定されて,討論ぬきの大衆の喝采による独裁が主張され,かつ,実現した。その時期に,討論にもとづく多数決の意味をあらためて位置づけなおし,その基礎のうえに議会制民主主義の擁護を説いたのがH.ケルゼンである。彼は,比例代表制のもとで,議会に対立的な利益が反映され,それらの間に妥協・調整をおこなうためのものとして討論を位置づけ,その際,少数が多数意思形成に及ぼす影響を重視して,多数決は〈多数・少数決原理〉と呼ばれるべきだという。ここでは,真理により接近するための討論→多数決にかえて,妥協のための社会的技術として討論→多数決がとらえられていることになる。その場合にも,後者がともかくも機能するためには,当事者間で考え方の互換性ではないとしても,多数・少数が入れかわりうるという立場の互換性が必要であった。今日の多数と少数が明日は入れかわることがありうるという前提があってこそ,妥協そのものが可能となるからである。その意味で多数決が実質的正当性をもつためには,多数を批判する自由と,選択の自由が保障されていなければならない。
いずれにしても,議会における多数決は討論と結びつくことによって実質的正当性をもつことができる。統治機構における多数決は,大統領など行政府首長の公選や人民投票による決定など直接民主主義を標榜する諸制度の運用の場面でもおこなわれ,それらはいずれも,一定の条件のもとで,国民意思による統治という理念を実現する目的にとって効果的に機能しうるが,議会での討論を経過しつつおこなわれる多数決に期待される本来の役割を代行できるものではない。言論の自由と複数の選択可能性が保障されているかぎりで,これら直接的決定の方法のもとでも世論レベルでの討論はおこなわれうるが,議会レベルでの討論過程は依然として固有の意味をもちつづけるはずである。そのことが等閑視されると,討論の過程を切り落とし,多数意思の名によって権力をもっぱら正当化する状況が生ずることとなる。
多数決による決定方法は,討論と結びつくことによって,その時点時点の少数者をも含めて,多かれ少なかれ共通に承認されるものとなるのであるが,つまるところは,その時点での多数者の前に少数者が屈服せざるをえないことを意味する。それゆえ多数決のルールが採用されるときには,多数による少数の屈服という基本的な関係を緩和させるための方策が,多かれ少なかれあわせ採用されることになる。通常の多数決が出席者の過半数(表決をおこなうためには一定の定足数が必要とされることが多いが)による決定であるのに対し,少数側をより保護するために,特別多数を必要とするという方式が用いられる(たとえば,日本国憲法は憲法改正の際の国会の発議について,衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成が必要だとしている)。一定のメンバーに拒否権の行使を認めることによって,多数決の効果を抑制する方法もある(国連安全保障理事会の拒否権制度は,常任理事国である大国の特権という実質をもつが,ひとつひとつの投票に限定して観察すれば,その投票の際の少数を多数決に対して保護するという意味のものとなる)。決定方式そのものの問題ではないが,裁判判決における意見表示制(日本の最高裁判所判決)は,それがない場合と比べると,少数側の見解を外部に表明させることによって一定の影響力を行使することを可能にする。また,そもそも多数決によって決定しえない事項を設けることによって,多数決の効果を限定する制度がある。立法府の多数の意思をもってしても侵害できないものとして人権を憲法上定めること,連邦制国家において連邦制原理をそのようなものとして定めることなどはこれに該当する。
日本では〈多数の横暴〉が非難されることが少なくない。戦後の議会運営のなかでは,1950年代から60年代にかけて〈強行採決〉がくりかえされ,防衛,外交,治安,教育など価値の対立が激しい領域で,多数・少数関係の変動(政権交代)の現実的可能性がないという状況のもとで多数決が強行されたが,それに対しては,〈野党はもっと大人になれ〉という注文と,〈多数派の横暴〉を戒める声が同時に起こるのが常であった。そのような対応が一般的なのは,ひとつには全員一致をよしとする日本の風土が背景にあるからである。全員一致主義は当事者間の適正な妥協調整を促す働きをするが,その反面,異論を封じ込める大勢順応的な空気が支配するところではかえって少数意見の抑圧につながる。共同体的に編成された地域社会や職場社会など事実上自由に離脱できない社会関係での全員一致主義は,そのようなものとして機能し,〈根回し〉や〈話合い〉も,少数意見のくみあげよりはむしろ少数意見の公然化を事前に抑制する働きをする。それに対し,複数の意見が対立しあっていることが社会のあるべき姿とみる多元主義的世界観のもとでは,多数決による多数・少数関係の公然化はむしろ好ましいと考えられる。
→議会
執筆者:樋口 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある集団や会議体の意志を決定する場合、構成員の多数が賛成した決定を全体の意志として認める方式。今日では、ほとんどの場合、決定に際しては、この多数決制が採用されている。全会一致制に対する語。
[田中 浩]
政治の世界において多数決制を採用したのは中世イギリス議会に始まるといわれる。イギリスでは、裁判所の判決における多数決制を議会の決定方式に採用した。このため、審議の過程で手間どることがあっても最終的には議会の意志を決定することができた。これに対し、フランスの身分制議会=三部会では、全会一致制を採用していたため、議会の意志を決定することが困難で、審議機関としての議会の機能が麻痺(まひ)し、その結果、国王権力の台頭を許すことになった。本来、会議体の意志を決定する場合には全会一致が望ましいが、諸身分・諸階級の利害対立が激しい場合には、全会一致制による決定はほとんど不可能である。したがって、近代議会の成立以後においては、ほとんどの国々で、議会の決定に関しては多数決制を採用するようになった。国際連盟では議事の決定は全会一致制をとったため、有効な決定ができず、そのことが国際連盟崩壊の一因となったといわれ、国際連合においては多数決制が採用された。ただ、国際平和の維持という問題については、五大国の意志が一致しなければ事実上無意味だということで、安全保障理事会の5常任理事国にいわば全会一致制を意味する拒否権が与えられた。しかし、米ソの対立が激化するなかで、双方から拒否権が発動され、安全保障理事会の機能が麻痺(まひ)した。そこで、国際的な平和と安全の維持に関し、安全保障理事会の機能が麻痺した場合には緊急特別総会を開き、全加盟国の多数決によって問題の処理にあたる、という方式が採用された。
[田中 浩]
多数決であれば、ただちにそのすべてが民主主義的な決定である、というわけではない。しかし、今日、多数決がほとんど民主主義と同一視されるまでになった理由は何か。これは、市民革命後、近代的な人間観が主張されるようになってからであり、近代的人間観においては、人間はすべて生まれながらにして自由で平等な存在であり、かつ人間はすべて理性的存在である、という考えを前提としている。このような合理的・同質的人間観を前提にして初めて、議会の討論において、人々は合理的かつ民主的な結論に到達し、多数意見は少数意見よりも原則的には優れているという仮説が成り立つであろう。したがって、多数決制においては、十分な討論がなされ、少数意見が十分に尊重されるという原則が最低限保障されることが必要であって、いやしくも「強行採決」などによる決定は多数の横暴以外のなにものでもなく、民主的な決定とはほど遠いものといえよう。ともあれ、絶対王制時代のような秘密・専決制にかわって、討論と公開制を標榜(ひょうぼう)する国民代表的性格をもった近代議会と多数決制が結び付いたときに、民主主義的な政治運営の原理が確立されたのである。
こうした考え方は、最初にホッブズの政治思想にみられる。彼は、理性的な人間が生命の安全をよりよく保障するために契約を結び、一つの権力をもつ共同体=国家を設立することを説いたが、その政治社会を運営する代表を選ぶ際には多数決の採用を認めているからである。ここに、多数決は近代国家における民主的な政治運営の基本的方法として位置づけられたのである。続く議会制民主主義思想の祖といわれるロックは、当然のことながら、多数決制を自明の理としているのである。ところで、近代初期においては制限選挙制をとっていたから、多数決といっても現実には少数者を代表する人々の間での多数にすぎなかった。この政治的擬制(フィクション)を克服するために、政治への全員参加を主張したのが、ルソーの「一般意志」論であり、またルソーの同時代人で、「最大多数の最大幸福」原理と「1人1票制」を主張したベンサムであった。普通選挙制の実現は、多数決制と民主主義との間隙(かんげき)を埋めた。
[田中 浩]
20世紀の1920、30年代に登場したファシズムは、帝国主義列強とソ連社会主義に対抗するため、強力な政治指導による独裁制国家の確立を目ざし、議会制と多数決制は全国民の利益を真に代表していないとして批判・攻撃を加えた。当時は第一次世界大戦直後の政治的混乱期、未曽有(みぞう)の経済的危機の時代であったから、ファシズムの論理は中産階級や下層階級の人々をひきつけた。これに対し、イギリスの政治学者ラスキは、議会が事実上有産者階級の利益を代表していることを指摘しながらも、真に全国民の利益を代表しうる人々を議会に送り込み、討論を通じて平和的に政策を転換させるよう主張した。一国における民主主義が十分に確立していないところでは、多数決は民主主義的な機能を果たしえないことを、1920、30年代の政治状況はわれわれに教えている。
[田中 浩]
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…一般に,合議体における意思決定のために,議長が表決を採ること。表決には多数決の方法が用いられるが,多数決は,異なった意見や主張のあいだでの討論が十分におこなわれたうえでなされることによってはじめて,実質的な正当性をそなえることができる。しかし,意見や主張の対立が深刻であればあるほど,討論による相互説得,あるいは利害調整は困難になるので,どのような局面で採決をするかは,合議体の運営上,きわめて重要な意味をもつことになる。…
…これは,村落内の対立や矛盾を顕在化させずに,有力者層の意志を全体の意志として決めて地域の平和を維持する方法といえる。しかし,日本の寄合に多数決の議決の伝統がまったくなかったわけではない。惣の掟に〈諸事申合せ候儀,多分に付くべき事〉(近江今堀,1590年)とか〈いかやうにも多分ニ付キ,談合仕るべく候事〉(近江宇治河原,1605年)と表現されているように,多数決が採用されていた。…
※「多数決」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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