忠恩寺(読み)ちゆうおんじ

日本歴史地名大系 「忠恩寺」の解説

忠恩寺
ちゆうおんじ

[現在地名]白岡町高岩

高巌山覚了かくりよう院と号し、浄土宗本尊薬師如来開山は大誉岌意で、応永一九年(一四一二)の草創と伝える(元禄八年「浄土宗寺院由緒書」東京都増上寺文書)。しかし一説には天喜二年(一〇五四)野与党の渋江兼重が開基し、大然を招請して開山とした天台宗寺院であったが、応永一九年一五世大宿の代に浄土宗に改宗した。その後、太田道灌が庇護し、文明一〇年(一四七八)太田家に伝わる薬師如来像を当寺に移し、中堂などを建立したと伝えられている(「高岩山由来」忠恩寺文書)


忠恩寺
ちゆうおんじ

[現在地名]飯山市大字飯山 奈良沢

浄土宗知恩院末。松寿山正覚院忠恩寺。関一政によって長沼ながぬま(現長野市)より飯山へ移され、松平氏本多氏墓所がある。天和二年(一六八二)の寺社領由緒書(西敬寺蔵)に寺領六石四斗四升五合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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