注連寺(読み)ちゆうれんじ

日本歴史地名大系 「注連寺」の解説

注連寺
ちゆうれんじ

[現在地名]朝日村大網

大網おおあみ七五三掛しめかけ集落の北東にあり、かつての六十里越街道に面する。湯殿山と号し、真言宗智山派。本尊大日如来。天長一〇年(八三三)空海の開基と伝える。近世には出羽三山登拝道八方七口の一つ七五三掛口を占め、湯殿山表口別当寺を称し、庄内地方、とくに飽海あくみ郡や陸奥南部地方・仙台・越後・佐渡・秋田・最上郡新庄方面をおもな霞とし、大日だいにち坊と同じく女人の湯殿山遥拝所として、多くの道者が参詣し栄えた。庄内藩主酒井家の崇敬も厚く、天和元年(一六八一)三代藩主忠義の発病に際しては、羽黒山や大日坊などとともに平癒祈祷の護摩焚を行っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「注連寺」の意味・わかりやすい解説

注連寺
ちゅうれんじ

山形県鶴岡(つるおか)市大網にある寺。新義真言(しんごん)宗湯殿山(ゆどのさん)派の大本山。山号は湯殿山。本尊は大日如来(だいにちにょらい)。開創は弘法(こうぼう)大師空海といわれ、湯殿山本地仏の大日如来は空海が825年(天長2)につくったものと伝えられる。湯殿山旧別当職の僧坊で、往時は注連密寺、根本注連掛(がけ)坊などと称した。本導寺、大日坊、大日寺などを含む一山の総号を日月(にちがつ)寺と号し、湯殿山が女人結界のため、女人遙拝所(ようはいじょ)として栄えた。

 湯殿山は月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)とともに出羽(でわ)三山の一つで、江戸時代に月山・羽黒山は天台宗に統一された。当山は、第二次世界大戦後に新義真言宗湯殿山派として独立した。堂内にはさまざまな逸話のある鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)の即身仏が安置されている。森敦(あつし)の芥川賞受賞作『月山』の舞台になったことでも知られ、境内に森敦文庫文学資料館が建てられている。

[中山清田]

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