デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「恒助法親王」の解説 恒助法親王(1) こうじょほうしんのう 1288-1310 鎌倉時代,後深草天皇の第7皇子。正応(しょうおう)元年生まれ。母は藤原茂通の娘,別当典侍。正安(しょうあん)2年に出家。嘉元(かげん)4年大僧正浄雅(じょうが)に大法職位をうける。円満院門跡(もんぜき)をつぎ,園城寺(おんじょうじ)長吏,四天王寺別当などを歴任。延慶(えんきょう)3年7月24日死去。23歳。円満院宮,後金竜寺宮と称した。 恒助法親王(2) こうじょほうしんのう ?-? 南北朝時代,恒明(つねあき)親王の王子。亀山天皇の孫。道意に師事,京都仁和(にんな)寺相応院にはいり,永和2=天授2年(1376)親王宣下をうけた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「恒助法親王」の解説 恒助法親王 没年:延慶3.7.24(1310.8.19) 生年:正応4(1291) 鎌倉末期の天台宗寺門派の僧。後深草法皇の皇子。母は参議藤原茂通の娘,別当典侍。円満院門跡を継承するが,それに先立ち兄行覚法親王と亀山上皇の皇子性覚法親王の間で紛争があった。早世。 (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by