悠玄亭玉介(読み)ユウゲンテイ タマスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「悠玄亭玉介」の解説

悠玄亭 玉介
ユウゲンテイ タマスケ


職業
幇間

本名
直井 厳

別名
前名=桜川 玉介

生年月日
明治40年 5月11日

出生地
東京・浅草三筋町

経歴
酒屋の長男に生まれるが、生来の芸事好きが高じて、大正末期歌舞伎声色・三好家松好で芸能界に入る。昭和2年桂小文治師に入門、桂小祐を名乗り初高座、4年三升家勝好を名乗り二ツ目に。10年浅草旧見より桜川玉七師の家から桜川玉介として幇間人生に入る。戦後西銀座に料亭「悠玄」を出して悠玄亭玉介を名乗る。NHK「話の泉」「とんち教室」などにゲスト出演した。55年寿プロダクションを設立。平成元年には幇間芸を「お座敷あそび」のタイトルでビデオ化した。著書に「たいこもち玉介一代」がある。桜川善平と並んで現在の花柳界に残る幇間芸継承者のひとりだった。

所属団体
東京演芸協会(理事)

没年月日
平成6年 5月4日 (1994年)

伝記
いつもお祭り気分―幇間の世界たいこもち玉介一代 筏丸 けいこ 著,田巻 照敏 写真悠玄亭 玉介 著(発行元 亜紀書房草思社 ’87’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

関連語 伝記

20世紀日本人名事典 「悠玄亭玉介」の解説

悠玄亭 玉介
ユウゲンテイ タマスケ

昭和・平成期の幇間



生年
明治40(1907)年5月11日

没年
平成6(1994)年5月4日

出生地
東京・浅草三筋町

本名
直井 厳

別名
前名=桜川 玉介

経歴
酒屋の長男に生まれるが、生来の芸事好きが高じて、大正末期歌舞伎声色・三好家松好で芸能界に入る。昭和2年桂小文治師に入門、桂小祐を名乗り初高座、4年三升家勝好を名乗り二ツ目に。10年浅草旧見より桜川玉七師の家から桜川玉介として幇間人生に入る。戦後西銀座に料亭「悠玄」を出して悠玄亭玉介を名乗る。NHK「話の泉」「とんち教室」などにゲスト出演した。55年寿プロダクションを設立。平成元年には幇間芸を「お座敷あそび」のタイトルでビデオ化した。著書に「たいこもち玉介一代」がある。桜川善平と並んで現在の花柳界に残る幇間芸継承者のひとりだった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「悠玄亭玉介」の解説

悠玄亭玉介 ゆうげんてい-たますけ

1907-1994 昭和-平成時代の幇間(ほうかん)。
明治40年5月11日生まれ。歌舞伎声色(こわいろ),落語家をへて昭和10年桜川玉七の弟子となり,桜川玉介の名で幇間に転向。戦後悠玄亭と改名。数すくない幇間のひとりとして活躍,座敷芸などは至芸といわれた。平成6年5月4日死去。86歳。東京出身。本名は直井巌。
格言など】倒されし竹はいつしか立ち直り,倒せし雪はいつしか消えてなくなる(日頃,口にしたことば)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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