朝日日本歴史人物事典 「惣慶忠義」の解説
惣慶忠義
生年:尚貞18.11.11(1686.12.25)
歌人。唐名を伊世高という。30歳で系図座(首里王府の修史事業を行う役所)筆者になるが,不行跡を親類から訴えられて2度までも八重山や宮古に流罪になり,最後は宮古で死んでいる。その間に父親のあとを継いで金武間切(金武町)惣慶の地頭になったので通称を惣慶親雲上という。和歌和文,琉歌に優れ,その若干が『浮縄雅文集』や琉歌集に伝えられている。沖縄三十六歌仙のひとりで,『沖縄集』に「寄露無常」(露に寄せる無常)と題して「はかなくも同じつゆなる身をもちて 草葉の上をよそに見るかな」が採られている。よく知られているわりには作品が少なく,「不行跡」の内容についてもよく分かっていない。
(池宮正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報