慶紀逸(読み)けい・きいつ

朝日日本歴史人物事典 「慶紀逸」の解説

慶紀逸

没年:宝暦12.5.8(1762.6.29)
生年元禄8(1695)
江戸中期の俳人。江戸の人。別号,四時庵,自生庵など。椎名氏。名は件人。通称兵蔵。江戸幕府の御用鋳物師の次男として生まれ,椎名土佐と称する。俳諧は立羽不角,三田白峰,稲津祇空に学び,元文5(1740)年(榎本)其角座の一列に加わり,江戸座宗匠としての点者活動に入った。寛延3(1750)年高点付句集『武玉川』を刊行し,好評を博して続刊を重ね(1761年刊の15編まで紀逸選),川柳の生まれるべき素地を作った。ほかに『黄昏日記』『歳花集』などの編著がある。なお,兄椎名伊予(俳号許人),妻れん女も俳諧をたしなんだ。<参考文献>『誹諧武玉川』全4巻

(加藤定彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慶紀逸」の意味・わかりやすい解説

慶紀逸
けいきいつ

[生]元禄8(1695).江戸
[没]宝暦12(1762).5.8. 江戸
江戸時代中期の俳人。通称,椎名土佐。別号,四時庵,十明庵,自生庵,倚柱子,硯田舎,竹尊者。神田生れの御用鋳物師。不角,白峰,祇空,珪林,巽窓 (そんそう) に師事。寛延3 (1750) 年,前句付高点句集『武玉川』初編を出版して好評を得,没年までに 15編を重ねた。江戸座の得意とする人事句をよくし,景情兼ねそなえて卑俗に堕さず,一句立て趣向の曲を求める風調は川柳発生の素地となった。編著『吾妻舞』 (41) ,『雑話抄』 (54) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慶紀逸」の解説

慶紀逸 けい-きいつ

1695-1762 江戸時代中期の俳人。
元禄(げんろく)8年生まれ。幕府の御用鋳物師。立羽(たちば)不角,稲津祇空(いなづ-ぎくう)らにまなび,江戸座の判者となる。寛延3年から高点付句(つけく)集「武玉川(むたまがわ)」を続刊し,のちの川柳(せんりゅう)の素地をつくった。宝暦12年5月8日死去。68歳。江戸出身。姓は椎名。名は件人(かずひと)。通称は兵蔵,土佐。別号に四時庵,硯田舎など。編著に「燕都枝折(えどしおり)」,著作に「雑話抄」など。
格言など】江戸前売りの江戸という面(「武玉川」)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慶紀逸」の意味・わかりやすい解説

慶紀逸
けいきいつ

紀逸

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の慶紀逸の言及

【紀逸】より

…江戸中期の俳人。姓は慶。四時庵,自生庵,十明庵,硯田舎,竹尊者,倚柱子などと号す。神田の鋳物師で本名は椎名土佐。1740年(元文5)に江戸座の点者となり,高点句集《武玉川(むたまがわ)》を続刊して時流に投じた。都会的人事句の流行は,のちの俳諧味も尊重した川柳評に大きく影響した。編著《黄昏日記》《雑話抄》《歳花集》《吾妻舞》など。俳文和詩にも長じていた。〈二夜啼一夜は寒しきりぎりす〉(《武玉川》)。【鈴木 勝忠】…

※「慶紀逸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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