稲津祇空(読み)イナヅギクウ

デジタル大辞泉 「稲津祇空」の意味・読み・例文・類語

いなづ‐ぎくう【稲津祇空】

[1663~1733]江戸中期俳人大坂の人。別号敬雨。江戸に出て其角きかく師事宗祇そうぎを慕い、祇空と号した。その俳諧は法師風といわれ平明であった。

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精選版 日本国語大辞典 「稲津祇空」の意味・読み・例文・類語

いなづ‐ぎくう【稲津祇空】

  1. 江戸中期の俳人。大坂の人。別号、敬雨、竹尊者等。江戸に出て其角(きかく)門下に入る。宗祇(そうぎ)を慕い、その俳風は法師風と呼ばれて代々受け継がれた。寛文三~享保一八年(一六六三‐一七三三

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朝日日本歴史人物事典 「稲津祇空」の解説

稲津祇空

没年:享保18.4.23(1733.6.5)
生年:寛文3(1663)
江戸前・中期の俳人。通称は伊丹屋五郎右衛門。別号は青流,敬雨,竹尊者,玉笥山人,有無庵,石霜庵など。大坂の人。俳諧は岡西惟中,椎本才麿に師事。松木淡々の手引きで東下し,やがて榎本其角門に入る。其角他界の折にはその追善集『類柑子』の編集にかかわり,にわかに活躍を示し出す。正徳4(1714)年には箱根早雲寺の飯尾宗祇墓前剃髪し,祇空と改号。一時大坂に帰郷したこともあったが,享保初期まではおおむね江戸に在住。のち京都紫野大徳寺に移り,夢に敬雨の2字を感得して改号。諸所へ引杖後,享保16(1731)年に箱根湯本に石霜庵を結ぶ。隠者然とした高潔な人柄を慕う者多く,その俳風は「法師風」と称された。<参考文献>倉橋連之祐「祇空年譜」(『島田筑波集』上),潁原退蔵「祇空」(『潁原退蔵著作集』5巻),桜井武次郎「祇空と淡々」(日本文学研究資料叢書『蕪村一茶』)

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲津祇空」の解説

稲津祇空 いなづ-ぎくう

1663-1733 江戸時代前期-中期の俳人。
寛文3年生まれ。榎本其角(えのもと-きかく)にまなぶ。正徳(しょうとく)4年(1714)箱根湯本の飯尾宗祇(そうぎ)の墓前で剃髪(ていはつ)。常盤潭北(ときわ-たんぽく)と東北を周遊し,「烏糸欄(うしらん)」をまとめる。その俳風は法師風といわれた。享保(きょうほう)18年4月23日死去。71歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。初号は青流。別号に石霜庵,敬雨,有無庵など。

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世界大百科事典(旧版)内の稲津祇空の言及

【祇空】より

…江戸前期の俳人。姓は稲津,通称は五郎右衛門。初号は青流,晩年は敬雨,別号に竹尊者など。大坂の薬種商伊丹屋に生まれる。初め惟中門,後に才麿に従い,江戸に出て其角に就く。京にも住したが,晩年は箱根湯本に石霜庵を結び,その隠者然とした生活態度や平明な俳風は,俳壇の現状にあきたりない《五色墨(ごしきずみ)》や《四時観》の連中から慕われた。《住吉物語》(1695?)等の編著がある。〈秋風や鼠のこかす杖の音〉(《朽葉集》)。…

※「稲津祇空」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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