中国、清(しん)朝の最初にして最後の内閣総理大臣。乾隆帝(けんりゅうてい)の第17子永璘(えいりん)の第6子綿性の子。1884年以降、総理各国事務衙門(がもん)を管理、94年に慶親王となる。義和団の乱に際し初めはこれを支持したが、八か国連合軍が北京(ペキン)を占領し、対外妥協派が実権を握ると、李鴻章(りこうしょう)とともに講和全権大使となり、各国と北京で辛丑(しんちゅう)和約(北京最終議定書)を締結。1901年以降11年まで、新設された外務部総理となり、また立憲君主制への移行のために設立された督弁政務処の大臣、03年には首席軍機大臣などを務め、11年には新しい内閣官制のもとで総理大臣に任命された。辛亥(しんがい)革命後は天津(てんしん)に引きこもり、16年病没した。
[高橋孝助]
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