慶親王奕劻(読み)けいしんのうえききょう

精選版 日本国語大辞典 「慶親王奕劻」の意味・読み・例文・類語

けいしんのう‐えききょう ケイシンワウエキキャウ【慶親王奕劻】

中国清朝皇族政治家乾隆帝曾孫義和団事件全権として講和条約締結。のち総理大臣就任辛亥革命のため辞職。(一八三六‐一九一六

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デジタル大辞泉 「慶親王奕劻」の意味・読み・例文・類語

けいしんのう‐えききょう〔ケイシンワウエキキヤウ〕【慶親王奕劻】

[1836~1916]中国、朝の皇族・政治家。乾隆帝曽孫義和団事件李鴻章りこうしょうとともに全権として講和条約を締結。1911年、新内閣制度の初代総理大臣に就任、辛亥しんがい革命のため6か月で辞職。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慶親王奕劻」の意味・わかりやすい解説

慶親王奕劻
けいしんのうえききょう
(1836―1916)

中国、清(しん)朝の最初にして最後の内閣総理大臣。乾隆帝(けんりゅうてい)の第17子永璘(えいりん)の第6子綿性の子。1884年以降、総理各国事務衙門(がもん)を管理、94年に慶親王となる。義和団の乱に際し初めはこれを支持したが、八か国連合軍が北京(ペキン)を占領し、対外妥協派が実権を握ると、李鴻章(りこうしょう)とともに講和全権大使となり、各国と北京で辛丑(しんちゅう)和約(北京最終議定書)を締結。1901年以降11年まで、新設された外務部総理となり、また立憲君主制への移行のために設立された督弁政務処の大臣、03年には首席軍機大臣などを務め、11年には新しい内閣官制のもとで総理大臣に任命された。辛亥(しんがい)革命後は天津(てんしん)に引きこもり、16年病没した。

[高橋孝助]

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