20世紀日本人名事典 「我妻碧宇」の解説
我妻 碧宇
アヅマ ヘキウ
昭和期の日本画家 名古屋造形芸術短期大学教授。
- 生年
- 明治37(1904)年3月24日
- 没年
- 昭和45(1970)年10月28日
- 出生地
- 山形県米沢市
- 本名
- 我妻 栄之助
- 学歴〔年〕
- 日本美術学校日本画科〔昭和4年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日展朝倉賞・白寿賞(第7回)〔昭和26年〕「秋」,中日文化賞(第7回)〔昭和29年〕
- 経歴
- 大正11年上京して中村岳陵に師事。昭和4年再興第16回院展で「午後の陽射」が初入選。5年第2回聖徳太子奉讃美術展に「春意」で入選、7年第19回院展に「山野根風景」で入選し日本美術院院友となる。11年名古屋に移住。17年から法隆寺金堂壁画模写に中村岳陵班の助手として従事。18年第6回新文展で「林間」が特選となり、19年戦時特別文展に「闘魂」を無鑑査出品する。戦後は、21年の日展第1回から毎回入選を重ね、また22年一采社に参加、一采社第6回展に「早春」を出品。以後日展、一采社展を中心に制作発表を続ける。26年第7回日展で「秋」が特選、朝倉賞・白寿賞を受賞、27年日展審査員として「雲の影」を出品、29年第7回中日文化賞を受賞。33年日展評議員となり新日展に出品を重ね、36年最終の一采社第20回展に「残雪」を出品するが、同年岳陵門及び日展を離れ同門の森緑翠らと白士会を結成、定期展を愛知県美術館や東京で開催し、40年から公募展とした。一方、名古屋造形芸術短期大学教授を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報