デジタル大辞泉
「戸次庄左衛門」の意味・読み・例文・類語
べつき‐しょうざえもん〔‐シヤウザヱモン〕【戸次庄左衛門】
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べつき‐しょうざえもん【戸次庄左衛門】
- 江戸初期の軍学者。別木荘左衛門とも。浪人仲間と盟約し、芝増上寺で行なわれる徳川秀忠夫人法要を期し、老中襲撃、江戸放火を計ったが、事前に発覚、捕えられ、承応元年(一六五二)磔刑に処せられた。
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戸次庄左衛門 (べっきしょうざえもん)
生没年:?-1652(承応1)
江戸前期の浪人騒動である承応事件の主謀者。姓は別木とも書く。通称については,《江戸幕府日記》では庄右衛門。《正慶承明記》によれば松平直富の浪人で軍学者。1652年弟の林戸左衛門,土岐与左衛門,三宅平六らと謀り,増上寺での徳川秀忠夫人(崇源院)の二十七回忌の香典を奪い,駆けつける老中を鉄砲で撃ち,兵を挙げる計画をたてたが,永島刑部左衛門の密告で露見,同年9月21日関係者とともに浅草で磔(はりつけ)になった。
執筆者:藤井 譲治
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戸次庄左衛門
没年:承応1.9.21(1652.10.23)
生年:生年不詳
江戸前期の武士。別木庄(荘)左衛門とも書く。元越前(福井県)大野藩士で,200石の禄を取ったが,浪人して江戸に出,芝・札の辻で軍学を講じたという。いわゆる承応事件の首謀者で,承応1(1652)年9月,2代将軍徳川秀忠夫人崇源院の二十七回忌の法要が芝増上寺で行われた際,林戸右衛門,土岐与左衛門らの同志を糾合して江戸の町々に放火し,増上寺を襲撃して香奠の金銀を奪い,参列した老中を暗殺する計画を立てたが,密告者長島刑部左衛門が出て直前に捕らえられ,一味共々磔刑に処せられた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
戸次庄左衛門 へつぎ-しょうざえもん
?-1652 江戸時代前期の浪人。
承応(じょうおう)元年におきた浪人の反乱計画「承応事件」の首謀者。別木(べっき)庄(荘)左衛門ともかくが,経歴は不明。江戸増上寺での徳川秀忠夫人崇源院(すうげんいん)の二十七回忌を利用,寺に火をつけ香典をうばい老中らを殺し,兵をあげる計画だった。密告で捕らえられ同年9月21日に磔(はりつけ)の刑となった。
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世界大百科事典(旧版)内の戸次庄左衛門の言及
【承応事件】より
…1652年(承応1)9月に発覚した[戸次(べつき)庄左衛門](《江戸幕府日記》では庄右衛門)を主謀者とする浪人騒動。[慶安事件]とともに幕府の浪人対策の転機となった事件。…
※「戸次庄左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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