承応事件(読み)じょうおうじけん

改訂新版 世界大百科事典 「承応事件」の意味・わかりやすい解説

承応事件 (じょうおうじけん)

1652年(承応1)9月に発覚した戸次(べつき)庄左衛門(《江戸幕府日記》では庄右衛門)を主謀者とする浪人騒動慶安事件とともに幕府の浪人対策の転機となった事件。戸次庄左衛門は松平直富の旧臣で,由井正雪と同様軍学者であった。この騒動に加わった者には,戸次の弟林戸左衛門,土岐与左衛門(北条氏重浪人),三宅平六(同),藤江又十郎(森左京浪人),石橋源右衛門(水野勝俊家臣)がいた。増上寺で営まれた徳川秀忠夫人の二十七回忌の香典を奪い,駆けつける老中たちを鉄砲で撃ち兵をおこすという戸次らの計画は,土岐の弟を養子としていた永嶋刑部左衛門(嘉林(よしもと))にもれ,永嶋が老中松平信綱に訴えて事前に発覚した。戸次をはじめ関係者は同年9月21日,浅草ではりつけに処せられた。訴え出た永嶋は,ほうびとして知行500石が与えられ御家人に取り立てられた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「承応事件」の意味・わかりやすい解説

承応事件
じょうおうじけん

1652年(承応1)9月、別木庄左衛門(べつきしょうざえもん)(戸次庄左衛門)ら浪人が企てた集団強盗未遂事件。江戸増上寺(ぞうじょうじ)で行われた徳川秀忠(ひでただ)夫人の二十七回忌法会に集まった布施(ふせ)や香典を奪う目的で、結願(けちがん)直後の風の激しい夜を選んで同寺周辺に放火し、どさくさに紛れて寺内に侵入しようとしたもの。さらに、消火の指揮に駆けつけた幕府老中たちを鉄砲で狙撃(そげき)し、幕府を倒す意図があったとも、一味は200~300人であったとも伝えられるが、真相は不明である。法会結願の前に一味のうちから訴人があり、一味は町奉行(まちぶぎょう)によって捕らえられ、9月21日江戸引廻(ひきまわ)しのうえ磔(はりつけ)にされ、一味の一族は連座して死刑にされた。訴人の長嶋刑部(ながしまぎょうぶ)は旗本家来であったが、恩賞500石を与えられて直参(じきさん)となった。

高木昭作

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百科事典マイペディア 「承応事件」の意味・わかりやすい解説

承応事件【じょうおうじけん】

1652年(承応1年),別木(べつき)(戸次)庄左衛門(《江戸幕府日記》では庄右衛門)を主謀者とする浪人騒動。慶安事件翌年,松平但馬守直富の旧臣で軍学者であった別木は,徳川秀忠夫人の27回忌が江戸芝増上寺で行われるのに乗じて老中たちを暗殺する計画をたて,同志を糾合中,密告のため逮捕され死罪となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「承応事件」の意味・わかりやすい解説

承応事件
じょうおうじけん

江戸時代初期の牢人 (浪人) 騒動の一つ。慶安事件の翌年にあたる承応1 (1652) 年9月,軍学者と称する別木庄左衛門,土岐与右衛門,その他の牢人が江戸の町に放火して騒乱を起そうとはかったが,土岐の弟の養父長島刑部左衛門の密告により,事前に発覚。関係者は浅草で処刑された。これらの事件は幕府の牢人対策に転機を与えた。

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