日本歴史地名大系 「手代町」の解説 手代町てだいまち 愛知県:名古屋市東区手代町[現在地名]東区手代町建中寺裏(けんちゆうじうら)町の南、往還(おうかん)町の北にあたり、水筒先(すいとうさき)筋から東に入る横町をいう。享保一八年(一七三三)の名古屋図(蓬左文庫蔵)ではこの両側に「水道方手代」と記され、「蓬州旧勝録」には「御作事方手代衆居宅」とある。町の東方を南北に走る車道(くるまみち)筋の西側には藩医石黒通玄の控地があり、のちに町屋となって通玄長屋(つうげんながや)とよばれ、町から車道に通じる道筋を通玄山筋と称した(尾州名古屋御城下之図)。 手代町てだいまち 愛知県:名古屋市中区手代町[現在地名]中区橘一丁目門前(もんぜん)町より西への横筋をさす。町号の由来は、白鳥(しろとり)材木役所(現熱田区)の手代たちが住んでいたため。享保一二年(一七二七)畑の字名を取って金塚(かなづか)町と称し、その後前塚(まえづか)町となる(尾張志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報