打吹山(読み)うつぶきやま

日本歴史地名大系 「打吹山」の解説

打吹山
うつぶきやま

倉吉町の南に位置し、標高二〇四メートル。擂鉢を伏せたような秀麗な独立峰で、倉吉市のシンボルとなっている。南北朝期中頃に山名師義が築城、近世初頭まで存在した打吹城の遺構山頂およびその西側・北側斜面に広がり、しろ山ともいわれる。長谷ちようこく寺に残る棟札などには宇津葺、「陰徳太平記」には宇津吹とも記される。「伯耆民談記」によると、羽衣石うえし(現東郷町)に降臨した天女羽衣を奪われ、田夫の家に居住して子を儲けた。しかし天女が羽衣を取返して当山北東の神坂かんざか賀茂神社井戸から天に戻ったため、子らは思慕のあまり当山に登り、天女が好んだ伎楽を楽器を連ねて鼓吹し、これが山名の由来となったと伝える。「米子倉吉松崎八橋御法度」天和三年(一六八三)一二月二三日条に「倉吉城山」とみえ、当時入山禁止であった山に倉吉町の者が入って木などを盗んだため、因伯両国からの追放処分を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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