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伎楽 ぎがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伎楽
ぎがく

日本最古の外来芸能で,笛,三鼓(くれのつづみ。→),銅拍子(どびょうし。→銅鈸)の伴奏で野外で行なわれた仮面劇。古くは「くれのうたまい」といい,「楽舞」「呉楽」とも記した。『日本書紀』には,推古20(612)年に百済渡来人である味摩之が,で学んだ伎楽を大和国の桜井で少年を集めて習わせたとある。伎楽面に胡人型(こひとがた。アーリア人型)の特徴が著しいことや,登場人物の名にインド的なものがあることなどから,インドを含む西域一帯が源流と考えられている。伎楽は大宝令(→大宝律令)には朝廷の楽として記されているが,もっぱら寺院の楽として用いられ,諸大寺で伎楽者を養成したため,聖武天皇の天平3(731)年の雅楽寮楽員生員のなかからは省かれている。鎌倉時代に著された楽書『教訓鈔』によれば滑稽野卑な無言劇であったことが知られるが,伎楽に次いで大陸から渡来した舞楽散楽に圧倒されたのか,平安時代にしだいに衰微した。現存する多数の伎楽面が一時期の隆盛を物語っている。また,日本各地に分布する二人立ちの獅子舞は,伎楽の獅子がその源流とされ,伎楽の行道(ぎょうどう)の露払い役である治道(ちどう)は,今日,祭礼行列の先頭に立つ猿田彦に名残りをとどめている。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

伎楽

日本書紀によると、612年、百済人の味摩之(みまし)が大和の桜井で少年たちに教えたとされる。奈良の大寺には執に伎楽団が作られ、752年の東大寺大仏開眼法要をはじめ寺の行事などで演じられた。平安以降衰退し、「幻の天平芸能」とも言われたが、1980年に東大寺大仏殿昭和大修理の落慶法要に合わせ復元された。

(2013-05-02 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

ぎ‐がく【伎楽】

日本最初の外来楽舞で、こっけい・野卑な無言仮面劇。推古天皇20年(612)百済(くだら)の味摩之(みまし)が中国の呉(くれ)の国で学んで伝えたという。飛鳥(あすか)・奈良時代最盛期として衰え、江戸時代に滅びた。呉楽(くれがく・ごがく)。呉の歌舞(うたまい)。
仏教で、音楽のこと。

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百科事典マイペディアの解説

伎楽【ぎがく】

上代日本に渡来した仮面音楽劇。3種類ばかりの楽器の伴奏により無言で滑稽(こっけい)な仕草を演じた。呉楽(くれのうたまい)ともいい,記録では,612年に百済の味摩之(みまし)が呉で学んだものを伝えたというが,呉という地がどこであったかはっきりしない。
→関連項目演劇軽業

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日本文化いろは事典の解説

伎楽

伎楽とは、中国から伝わった大きな仮面をつけて演じられる台詞の全くない無言劇です。仮面舞踏劇のようなもので、聖徳太子の時代に盛んに行われていましたが、次第に大陸から伝わった雅楽などの新しい芸能の伝来によってだんだんと廃れていってしまいました。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎがく【伎楽】

広義には舞伎(伎)と音楽(楽)との総称。とくに漢訳大乗経典では供養楽あるいは天人奏楽を意味する。狭義には612年(推古20)に百済人味摩之(みまし)が日本に伝えた仮面劇とその音楽を指す。この場合〈呉楽〉とも書き,〈くれのうたまい〉とも呼ばれた。時の皇太子聖徳太子は味摩之を大和の桜井に居住させ,少年たちを集めて学ばせた。また,上奏して諸氏子弟壮士にこれを習わせ,家業として習伝するものには課役を免ずるなどの保護を加えた。

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大辞林 第三版の解説

ぎがく【伎楽】

612年百済くだらから帰化した味摩之みましが伝えたという、楽器演奏を伴う無言の仮面劇。法会の供養楽として八世紀後半に最も栄えたが、後伝の声明しようみようや雅楽によって衰えた。呉楽くれのがく・くれがく・ごがく。くれのうたまい。
仏典で、供養楽また天人の奏楽のこと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伎楽
ぎがく

古代、大陸より渡来した、仮面を使用する無言野外劇。『日本書紀』によれば、推古(すいこ)天皇20年(612)に百済(くだら)から帰化した味摩之(みまし)が呉(くれ)の国に学んで伎楽(くれのうたまい)を習得していたので、朝廷は大和(やまと)(奈良県)の桜井に味摩之を住まわせて、少年たちを集め、この舞を伝習させたとある。このように伎楽は中国の呉国より伝来したもので呉楽(くれがく)ともいわれるが、使用する仮面(伎楽面)の相貌(そうぼう)にいわゆる胡人(こひと)型といわれるアーリア系人種の特徴が著しい点から、その源流は西域(せいいき)方面ではないかと推定されている。伎楽という名称は、三宝供養(さんぽうくよう)の寺院楽として用いるために仏教経典にちなんだ日本での呼称であるといわれる。伎楽は大和国橘寺(たちばなでら)、山城(やましろ)国(京都府)太秦寺(うずまさでら)(広隆寺)、摂津(せっつ)国(大阪府)四天王寺にも置かれ、仏教の興隆とともにますます盛んとなり、752年(天平勝宝4)の東大寺大仏開眼供養(だいぶつかいげんくよう)にも盛大に行われた。
 伎楽の内容については1233年(天福1)10月成立の『教訓抄』巻4の記載をほとんど唯一の手掛りとして知るほかはないが、これに、法隆寺、西大寺(さいだいじ)、観世音寺(かんぜおんじ)などの資財帳にみえる伎楽面の名称を照合すると、その大要が把握できる。伎楽は行道(ぎょうどう)に演技の伴った屋外仮面芸能であるが、行道の先頭には露払いの役をする治道(ちどう)が立ったであろうといわれている。次に師子(しし)、師子児(ししこ)と続く。師子には悪魔払いの意味があり、今日四天王寺舞楽の「獅子(しし)」や各地の二人立ちの獅子舞にその名残(なごり)をとどめている。そのあとに呉公(ごこう)、金剛(こんごう)、迦楼羅(かるら)、婆羅門(ばらもん)、崑崙(こんろん)、呉女(ごじょ)、力士(りきし)、大孤父(たいこふ)、大孤児(たいこじ)、酔古王(すいこおう)、酔古従(すいこじゅう)などが続く。『教訓抄』によると、楽器は笛、三鼓(つづみ)、銅拍子(どうびょうし)。呉公は扇を持つとあるが、これには笛にあわせて舞の所作が伴ったであろうといわれている。金剛に続く迦楼羅は「ケラハミ」と称され、毒蛇を食うさまを演じたようすである。婆羅門は「ムツキアラヒ」とされているので、高徳の人物が襁褓(むつき)を洗うさまを滑稽(こっけい)に演じた、風刺性の強い演技であったと思われる。崑崙は呉女や力士との共演で、呉女に懸想(けそう)し卑猥(ひわい)なふるまいをするが、力士が出てきて懲らしめるという筋書き。大孤父は老人で、大孤児2人を伴い仏前参詣(さんけい)を示す演技をする。最後の酔古王は、従者である多くの酔古従を従え、その名称からして酒に酔ったまねをしたらしい。『教訓抄』の記述がどれだけ伝来当初の伎楽の姿を伝えているかは疑問であるが、伎楽のこのような卑俗的な滑稽さが、寺院の楽でありながら、舞楽の隆盛に押されて平安中期以降しだいに衰微していった大きな原因であった。しかし、その滑稽さが平安末から鎌倉時代初めにかけての猿楽(さるがく)に影響を与えたものと思われる。[高山 茂]

伎楽面

伎楽面は上述の治道から酔古従まで14種あることが知られている。大多数は奈良時代に属し、法隆寺31面(東京国立博物館蔵)、正倉院164面、東大寺33面、そのほか、春日(かすが)大社などの社寺にも分散して伝えられた。法隆寺の面は味摩之の将来と伝え、正倉院のものは大仏開眼供養の伎楽に使用したものといわれる。舞楽面・能面よりも大型で、後頭部から深くかぶり、後頭部の下半に布をつけて覆うようにした形式をもつ。素材にはクスノキ、キリなど木彫製のものと乾漆製のものとがあり、彩色にも能面とは違った華麗さがあるが、大型で目・鼻・口から外がよく見えるようになっているのは、伎楽が野外芸能であったためといわれる。また、役の名、作者、年月日などの銘が記されているものもあり、芸能史、仮面史にとっての貴重な資料になっている。[高山 茂]
『正倉院事務所編『正倉院の伎楽面』(1972・平凡社)』

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世界大百科事典内の伎楽の言及

【朝鮮音楽】より

…《隋書》には,百済の楽器として,鼓,角,箜篌,箏,竽(う),篪(ち),笛があげられている。日本との関係は注目すべきで,7世紀初めに,百済人の味摩之(みまし)は中国南部の呉で伎楽を学び,それを日本に伝えたと《日本書紀》にある。ソウル大学校の李恵求は,この伎楽は朝鮮にも伝わり,今日韓国に伝承する山台都監(仮面劇)は同じ系統の仮面舞踊劇であることを証明した。…

【日本音楽】より

…この期の末には,大陸から新羅楽(しらぎがく)や百済楽(くだらがく)が伝来したが,それらは来日外人によって奏されただけで,日本人が学ぶようなことはなかったようである。
[第2期]
 大陸音楽輸入時代(7~8世紀) 612年(推古20)百済の味摩之(みまし)がきて,少年たちに伎楽(ぎがく)を教えた。これが文献上明らかにされている日本における外国音楽教習の最初である。…

【仏教音楽】より

…これらは音声の学術,すなわち声明として体系化され,やがて中国,日本にまで伝えられることになる。
[伎楽]
 伎楽という言葉は,しぐさをもつ舞踊を意味するサンスクリット語ヌリティヤnṛtyaの訳語として漢訳経典に現れる。これは音楽劇(ナーティヤnāṭya)の主要部分をなすものであるが,別にヌリティヤと呼ばれる仮面劇が独立に存在したとも考えられている。…

【味摩之】より

…7世紀初めに百済から渡来して伎楽(ぎがく)を伝えた人物。生没年不詳。…

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