折地村(読み)おりじむら

日本歴史地名大系 「折地村」の解説

折地村
おりじむら

[現在地名]筑後市折地

矢部やべ川右岸に位置し、東は水田みずた村、南は中折地なかおりじ村・中牟田なかむた村。中世水田庄のうち。一五世紀中頃の書写と思われる水田庄南島村在家雑免坪付案(太宰府天満宮文書/南北朝遺文(九州編)五)に「おりち」とみえ、北水田庄南島みなみしま村の石丸いしまる名・米丸よねまる名・二郎丸じろうまる名・四郎丸しろうまる名・角丸名に田地計一町八反余があった。天正一二年(一五八四)と推定される九月三日の戸次道雪書状(薦野家譜)によれば、道雪と高橋紹運(鎮種)が八月二八日に当地など二方より柳川近辺まで攻め込み、また九月一三日に当地の付城近辺に出没した敵を蒲池鎮運が討取っている(九月一五日「戸次鎮連等連署書状」蒲池文書/福岡県史資料五)。なお文安五年(一四四八)の水田庄田地坪付(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)に「おり口号しりかま」とみえ、「おり口」は当地内の折口おりぐちに比定され、水田庄三郎二郎丸さぶろうじろうまる名に田地三丈があった。

折地村
おりちむら

[現在地名]長洲町折崎おりさき

東部を行末ゆくすえ川が南流し、北は赤崎あかさき村・宮崎出目みやざきでめ村、南は扇崎おうぎざき(現岱明町)腹赤はらか村、西は腹赤村と接する。慶長国絵図に村名がみえ、石高九七〇石余とある。近世は荒尾手永に属する。宝暦一二年(一七六二)の下ケ名寄帳によると惣畝数五九町三反二畝余、下ケ名は四二を数え、梶取・行末・堤下・喜三田・小柳牟田・上中嶋・下中嶋・山ノ谷・野間・松尾・天神先などは明治の「郡村誌」にみえない。文政七年(一八二四)荒尾手永手鑑によると竈数八五・人数三五一、馬四五、商札八、造酒屋二、綿弓一張、堤六。

折地村
おりじむら

[現在地名]下山村田折たおり

ともえ川の支流郡界ぐんかい川の左岸に沿い、東はあららぎ村、南は田代たしろ村、西は上田代かみたしろ村、北は大沼おおぬま村に接する。集落は小起伏面上に点在。三河国村々高附では加茂郡に属すが、それ以外は額田ぬかた郡に編入されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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