日本歴史地名大系 「拾石村」の解説 拾石村じつこくむら 鳥取県:岩美郡国府町拾石村[現在地名]国府町拾石殿(との)村の北東、袋(ふくろ)川右岸に位置する。法美(ほうみ)往来が通る。天文三年(一五三四)二月二七日の社奉行経泰安堵状(因幡民談記)に「十黒百姓」とみえ、「神護別符」内の山を奪おうとして一宮(現菅野の酒賀神社の前身か)と争っている。古くから近辺では水難にあっていたらしく、池田長吉治世下の慶長年間(一五九六―一六一五)栃本(とちもと)村の百姓が「大水ニ五石十石ナガサレテ此身バカリハノコル栃本」という狂歌をよみ年貢を免除されたと伝える(因幡民談記)。藩政期の拝領高は一〇八石余、本免は六ツ六分。荒木氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によれば家数二三。 拾石村ひろいしむら 愛知県:蒲郡市拾石村[現在地名]蒲郡市拾石町竹谷(たけのや)村の南西に続く海岸村であったが、現在は埋立によって海岸から離れた。元禄一一年(一六九八)幕府領、享保元年(一七一六)から逸見・筧両氏の知行所となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報