日本歴史地名大系 「持明院仙洞跡」の解説 持明院仙洞跡じみよういんせんとうあと 京都市:上京区室町学区安楽小路町持明院仙洞跡[現在地名]上京区安楽小路町現光照(こうしよう)院の地にあった。藤原基頼の邸宅であったが、天治年中(一一二四―二六)子の通基が邸内に一堂を建て(安楽光院)、持明院を家の号とした(尊卑分脈)。通基の子の基家の娘陳子が高倉天皇の子守貞親王の正妃となり、守貞親王はこの邸宅に寄宿し、持明院の宮とよばれた。承久三年(一二二一)守貞親王の皇子が後堀河天皇となって、守貞親王に太上法皇の号を奉り、当邸を仙洞とした。後堀河院は文暦元年(一二三四)当邸にて死去し、後嵯峨院も当邸に居して死去した(宣胤卿記・安楽行院寺記)。この後も後深草・伏見・後伏見天皇が当邸を仙洞とし、この諸帝を持明院統とよび、大覚寺統と皇位が争われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by