救農議会(読み)きゅうのうぎかい

改訂新版 世界大百科事典 「救農議会」の意味・わかりやすい解説

救農議会 (きゅうのうぎかい)

1932年8月23日から9月4日にかけて開かれた第63回帝国議会(臨時)の別称。1930年に始まる昭和恐慌の影響は深刻な農村窮乏をもたらし,激しい小作争議と32年の血盟団事件,五・一五事件に代表される急進右翼運動を引き起こした。五・一五事件参加者の一部が農民であったことも農村問題を重大な政治問題化させる原因となった。当時,斎藤実内閣は強硬外交と農村救済の二大政策を掲げ,32年6月1日から14日にかけて第62回帝国議会(臨時)を開催した。この議会に向けて各種農民団体の請願が続き,借金の棒引き,軽減または償還延期,農産物価格引上げ,国家による損失補償,肥料資金の国家補償,税金の軽減などが全国に宣伝された。とくに長野山梨,群馬など養蚕県では長野朗権藤成卿,橘孝三郎ら農本主義者による自治農民協議会が結成され,全国から約5万人の署名を集め,第62議会に向けて農村救済請願運動が展開された。この結果,つづいて救農議会が開かれ,米穀法改正などによる米価対策,産業組合中央金庫特別融通及損失補償法,不動産融資及損失補償法,金銭債務臨時調停法などによる負債対策,さらに土木事業により景気回復と窮乏農民に副業収入を与えるための大規模な救農土木事業(または時局匡救事業)が可決実施された。同時に産業組合の拡充運動と精神主義的な農山漁村経済更生運動が開始された。翌年第64回帝国議会では米穀統制法,農村負債整理組合法が成立し,救農議会を補完した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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