国指定史跡ガイド 「敷山城跡」の解説
しきやまじょうあと【敷山城跡】
山口県防府市牟礼にある城跡。南北朝時代、周防(すおう)国衙(こくが)の役人であった清尊(せいそん)・教乗(きょうじょう)や大内弘世(ひろよ)の叔父弘直(ひろなお)が、足利尊氏(あしかがたかうじ)方と戦った山城跡である。佐波川左岸、矢筈ヶ岳(標高460m)の南面8合目あたりに位置し、1571年(元亀2)まで敷山験観寺(けんかんじ)という寺院があった。1333年(元弘3)、後醍醐(ごだいご)天皇が鎌倉幕府を倒して建武の新政が始まったが、1336年(延元1・建武3)、これに反対する足利尊氏らが挙兵し、天皇方は比叡山に追いやられた。同年、周防国衙の役人であった清尊・教乗らは天皇方に呼応して兵を起こし、験観寺を城として立てこもった。尊氏方の石見(いわみ)国守護上野頼兼(よりかね)を総大将に、安芸、長門、石見の軍勢が攻め入り激戦は十数日続いたが、城は落城し、清尊・教乗は自害した。寺院の12ヵ所の寺坊を戦いのために城として利用したもので、城郭の遺構はない。清尊らが立てこもった本堂の礎石や寺坊跡などが残っている。この地方での南北朝時代の始まりを示すものとして、1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。JR山陽本線防府駅から防長バス「敷山」下車、徒歩約1時間。