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文成公主 ぶんせいこうしゅWen-cheng gong-zhu; Wên-ch`êng kung-chu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

文成公主
ぶんせいこうしゅ
Wen-cheng gong-zhu; Wên-ch`êng kung-chu

[生]?
[没]680
吐蕃王に嫁した唐の王女。チベット族に政治的統一をもたらしたソンツェンガンポが唐に公主の降嫁を請い,いったん拒絶され,638年の戦いとなったが和が成り,640年秋に江夏王道宗らに送られて河源に迎えられた。公主は初めソンツェンの子グンソン・グンツェンと結婚してカム地方のツァシュに住み,マンルン・マンツェンをもうけたが,まもなく夫グンソンが死んだので,3年の喪を経て 646年義父ソンツェンと再婚した。公主はチベットへの中国文物移入と両国の和親に貢献した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぶんせいこうしゅ【文成公主 Wén chéng gōng zhǔ】

625?‐680
チベット王に嫁した唐の皇女。640年(貞観14)唐太宗の娘分としてチベット王のに遣わされた。従来,老齢ソンツェン・ガンボ王に嫁したとされていたが,敦煌文献等の研究により,初めクンソン・クンツェン王の妃となり,カムに住んで王子をもうけ,643年王が没したので中央チベットに至り,亡夫供養のラモチェ寺を建て,3年の喪ののち,父王ソンツェンと再婚したものとされる。649年父王も没し,以後寡婦として両国の和平のために尽くした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文成公主
ぶんせいこうしゅ
(?―680)

中国、唐太宗の娘の資格で640年にチベット王クンソン・クンツェンの妃となった人。カム地方に住んでマンルン・マンツェンを生んだ。643年王が没したのち、中央チベットに至り、3年の喪を経て父王ソンツェンガムポと再婚したが、この王も649年に没した。以後、寡婦として唐との和親、文物導入に貢献した。唐はこの公主の存在にあまり拘束されなかったので、その素姓は疑わしい。[山口瑞鳳]

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