日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソンツェンガンポ」の意味・わかりやすい解説
ソンツェンガンポ
そんつぇんがんぽ
Srong btsan sgam po
(581?―649)
古代チベット王国(吐蕃(とばん))を統一支配し、のちに観音(かんのん)の化身と称された王(在位?~638、643~649)。正式名はチソンツェン(棄宗弄讃)王であり、毒殺された父ナムリルンツェンにかわってチベットを統一し、6種の大欽定(きんてい)法を定めて国内の統治制度を確立した。吐谷渾(とよくこん)などにも支配の手を伸ばし、ついに唐と対峙(たいじ)するに至るなかで、名宰相ガル・トンツェン・ユルスン(禄東賛)が活躍した。のちにトゥルナン寺(大昭寺)を建立したネパール王女ティツゥンKhri btsanらを妃(ひ)とした。また634年には初めて唐に使節を送り、公主との婚姻を求めたのに対し、640年には文成公主が王の長子に降嫁して、長子の没後に王と再婚し、ラモチェ寺(小昭寺)を建立している。後代の伝承では、この王を仏教導入の立役者とするが、史実とは認めがたい。国家統一と、位階や刑法の制定など大欽定法に代表される国家統治に大きな業績を残し、以後の王国発展の基礎を築いた。
[原田 覺 2017年4月18日]