朝日日本歴史人物事典 「斯波義教」の解説
斯波義教
生年:応安4/建徳2(1371)
室町時代の武将。義将と吉良満貞の娘の子。初名は義重。治部大輔,左衛門佐,右兵衛督。応永6(1399)年までに父から越前(福井県)守護職を譲られ,その後斯波氏として初めて尾張(愛知県),次いで遠江(静岡県)の守護となるが,いずれも父の政治的地位に負うところが大きい。また同12年に義教自身が,同16年には子息義淳が管領になったのも父義将の後援によるもので,義淳が義将の死と共に管領を辞めているのもそのためである。同21年には将軍足利義持の怒りにふれて高野山(和歌山県)に逃げるなど,管領家としての権勢は失われていった。
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報