20世紀日本人名事典 「新井洸」の解説 新井 洸アライ アキラ 明治・大正期の歌人 生年明治16(1883)年10月9日 没年大正14(1925)年10月23日 出生地東京 本名新井 幸太郎 別名別号=雨泉 経歴府立一中時代15歳で佐佐木信綱に師事し、20歳以降「心の花」の歌人として活躍。帝国水難救済会に勤務。また、その間、洋画家、小説家を志し、尾崎紅葉の門にも入る。明治末から大正期にかけては川田順、木下利玄と共に“心の花三羽烏”と称され、大正5年「微明」を刊行。没後「新井洸歌集」が刊行された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新井洸」の解説 新井洸 あらい-あきら 1883-1925 明治-大正時代の歌人。明治16年10月9日生まれ。佐佐木信綱に師事,「心の花」によって活躍。一時は尾崎紅葉の門にまなぶ。明治41年から石榑千亦(いしくれ-ちまた)らの帝国水難救済会に古泉千樫(ちかし)とともにつとめた。大正14年10月23日死去。43歳。東京出身。本名は幸太郎。別号に雨泉。号は「こう」「ひろし」ともよむ。歌集に「微明」など。【格言など】そむかれん日の悲しびをうれひつつ百日(ももか)に足らぬ子をいだくなり(「微明」) 新井洸 あらい-こう ⇒あらい-あきら 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by