新名村(読み)しんみようむら

日本歴史地名大系 「新名村」の解説

新名村
しんみようむら

[現在地名]国分寺町新名

新居にい国分こくぶ両村の南、福家ふけ村の西に位置し、本津ほんづ川中流域の平地に立地。南部にたちばな池がある。古代の阿野あや新居にいのみ(和名抄)の比定地。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に、後宇多院が昭慶門院に譲った山城浄金剛じようこんごう(跡地は現京都市右京区)領の内に「新居新名」とみえる。新居郷の新名田の意からの地名と考えられる。天文一一年(一五四二)一二月一七日の鷲峰寺領名々分帳(鷲峰寺文書)の「新名領家名」の久利・延引・宗安・守行・貞正・国光の各名は当地内と推定され、また石舟いしぶね(村内字名)鷲峰じゆうぶ寺領であった。


新名村
しんみようむら

[現在地名]高瀬町新名

高瀬川中流域および支流の乙田おつた川の合流点にあり、上高瀬かみたかせ村の西に位置する。丸亀に通じる伊予街道が通る。「八坂神社記録」によると、正和四年(一三一五)「讃岐国水上新名」が同社常灯料所として寄進されている。貞和三年(一三四七)四月一一日の源泰長・同泰忠連署分帳(秋山家文書)に、高瀬郷の井手五ヵ所の一所として「新名井」があげられる。永禄六年(一五六三)六月一日の河田伝右衛門への香川之景宛行状(同文書)に「三野郡打上之内国ケ分」がみえる。


新名村
しんみようむら

[現在地名]河合村新名

小鳥おどり川右岸の河岸段丘上にあり、北対岸は羽根はね村・じようしま村、東の下流有家うけ村。上山中かみさんちゆうの中央部に位置する。中世庄園の新たな開墾地に由来する地名であろう。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳に新明村とあり、小鷹利こたかり郷に属し、高一六石余。元禄五年(一六九二)の年貢割付帳(西森文書)では本高一六石余・古開高六一石余。元禄検地反歩帳では高二八石余、田一町五反余・畑三町八反余。元禄七年の検地請書(羽根区有文書)では家数一二・人数八五、牛一一・馬二。


新名村
しんみようむら

[現在地名]富山市新名

いたち川右岸の平坦地にあり、東は長屋ながや村。元和(一六一五―二四)頃に北八川きたはちかわ村が分村した八ヵ村の一つで、神明宮跡に村立てしたことにより初め神明しんめい村と名付けたが、のち新名とし、呼称も「しんみょう」に変わったと伝える(越中志徴)正保郷帳では高一八六石余、田方一二町四反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三二五石、免三ツ三歩、小物成は野役一七匁・鱒役二匁・鮭役一匁・鮎川役三匁(三箇国高物成帳)。以後幕末まで草高・免にほとんど変化はなく、嘉永六年(一八五三)新たに小物成として七木運上役四匁五厘が加えられている(「太田組高免等手帳」杉木家文書)


新名村
しんみようむら

[現在地名]八尾町新名

乗嶺のりみね村の北、野積のづみ川左岸の山腹にある。正保郷帳に村名がみえるが、村高などは栃折とちおり村と合せて記される。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では青根あおね村の一〇町ほど北にある枝村新田としてみえ、高四二石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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