新庄山城跡・土居城跡(読み)しんじようやまじようあと・どいじようあと

日本歴史地名大系 「新庄山城跡・土居城跡」の解説

新庄山城跡・土居城跡
しんじようやまじようあと・どいじようあと

[現在地名]豊松村上豊松

新庄山城跡は上豊松有賀(かみとよまつあるが)の県道布賀(ふか)―油木(ゆき)線の北側にある新庄山(五五〇メートル)にあり、中世を通じ当地方に勢力を有した内藤氏の本城。新庄山からは上豊松の谷々を見下ろすことができ、南と東は天田(てんだ)川に囲まれ、川を隔てて東北方の米見(よなみ)山と向い合う要害の地である。城は丘陵頂部を利用して築造されており、最高所に長さ約三〇メートルの本丸を設け、その両側に一―二段の郭を直線的に並べて両端は土塁と空堀で区切っている。とくに攻撃を受けやすい北側の山頂に近い斜面一帯には、土を削り取って作った小土塁三〇余個が並べられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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