新庄山城跡・土居城跡(読み)しんじようやまじようあと・どいじようあと

日本歴史地名大系 「新庄山城跡・土居城跡」の解説

新庄山城跡・土居城跡
しんじようやまじようあと・どいじようあと

[現在地名]豊松村上豊松

新庄山城跡は上豊松有賀かみとよまつあるがの県道布賀ふか油木ゆき線の北側にある新庄山(五五〇メートル)にあり、中世を通じ当地方に勢力を有した内藤氏本城。新庄山からは上豊松の谷々を見下ろすことができ、南と東は天田てんだ川に囲まれ、川を隔てて東北方の米見よなみ山と向い合う要害の地である。城は丘陵頂部を利用して築造されており、最高所に長さ約三〇メートルの本丸を設け、その両側に一―二段の郭を直線的に並べて両端は土塁と空堀で区切っている。とくに攻撃を受けやすい北側の山頂に近い斜面一帯には、土を削り取って作った小土塁三〇余個が並べられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む