日本歴史地名大系 「新町五丁目―同十丁目」の解説
新町五丁目―同十丁目
しんまちごちようめ―じゆつちようめ
「豊公伏見城ノ図」と伏見城下総絵図によって城下町時代の新町通一帯をみると、二図は細部においてかなり食違うところがあるが、「豊公伏見城ノ図」では銀座一丁目から銀座三丁目の銀座施設が西方に延びることによって、新町通の新町五丁目から七丁目にあたる部分が貫通せず、閉鎖されたかたちになっている。一方の伏見城下総絵図では、新町通は南北が完全に貫通しており、銀座の記入はなく、新町通の東側は両替町通まですべて町家地区となっている。また、新町通の西側の部分についても五丁目から十丁目に至る新町通西側の街区が、「豊公伏見城ノ図」ではすぐに武家屋敷地となっているのに対し、伏見城下総絵図では新町五丁目から七丁目にあたるところまで、通りの西側にも町家地区があり、その西側町家裏が武家屋敷地や寺院境内となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報