日円寺跡(読み)にちえんじあと

日本歴史地名大系 「日円寺跡」の解説

日円寺跡
にちえんじあと

[現在地名]今立町別印

別院べついんの通称法界門ほうかいもん一帯が寺跡と推定され、現教徳きようとく寺付近から層塔・宝篋印塔・五輪塔・墓石などの断片が数多く発見された。至徳三年(一三八六)などの刻銘のある石塔断片や、文永八年(一二七一)・文明五年(一四七三)・享禄五年(一五三二)・天文二年(一五三三)年号を有する墓石もみられる。貞治六年(一三六七)の奥書を有する「扶桑五山記」によると、開山は南禅寺一一代の仏徳禅師元翁本元で、寺内には多宝塔があった。元翁本元の没年は嘉暦元年(一三二六)であるから、日円寺の草創は鎌倉時代末期ということになるが、永平えいへい(現福井県永平寺町)一四世建撕の著「建撕記」(応仁二年)によると、京都で道元の身の回りの世話をしていた覚念が、道元の死後に別印に寺を建立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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