日吉小三八(読み)ヒヨシ コサハチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「日吉小三八」の解説

日吉 小三八
ヒヨシ コサハチ


職業
長唄唄方

肩書
青陽会(長唄)主宰 重要無形文化財保持者(長唄・唄)〔昭和49年〕

本名
石村 義一(イシムラ ヨシカズ)

別名
前名=吉住 小三八(2代目)(ヨシズミ コサハチ)

生年月日
明治40年 9月5日

出生地
東京市 赤坂区(東京都 港区)

経歴
3歳の時から長唄を習い大正5年石村小能(吉住小乃)の養子となる。9年2代目吉村小三蔵に、12年から4代目吉住小三郎(慈恭)に師事。13年2代目吉住小三八を名乗り、長唄研精会に初出演。昭和8年東京音楽学校教務嘱託、16年助教授を務める。18年出征し、21年復員。戦後、師の小三郎と袂を分かち、別派を樹立。21年14代目杵屋六左衛門と長唄清明会を創立、古典長唄の研鑽に専念する。26年長唄青陽会を、33年紫紅会を創立。44年日吉派を創設し、45年日吉小三八と改名。49年人間国宝に認定される。芦屋大学教授も務めた。また、長唄の稀曲や廃絶曲の復活に努力し、「安宅勧進帳」「七騎落」などは高い評価を受けた。長唄正本の収集・研究家としても著名。

受賞
芸術祭賞奨励賞〔昭和31年・33年〕

没年月日
平成7年 2月16日 (1995年)

家族
養母=吉住 小乃,長男=日吉 和人

親族
伯父=吉住 小三蔵(2代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「日吉小三八」の解説

日吉 小三八
ヒヨシ コサハチ

大正・昭和期の長唄唄方 青陽会(長唄)主宰。



生年
明治40(1907)年9月5日

没年
平成7(1995)年2月16日

出生地
東京

本名
石村 義一

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和31年 33年〕

経歴
3歳の時から長唄を習い、大正末期、4代目吉住小三郎に師事。吉住小三八を名乗る。昭和8年東京音楽学校教務嘱託、のち10年間、助教授を務める。戦後、芦屋大学教授。古曲、稀曲に精通した、爽快な演奏をする。45年日吉小三八と改名、49年人間国宝。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日吉小三八」の意味・わかりやすい解説

日吉小三八
ひよしこさはち
(1907―1995)

長唄(ながうた)唄方。本名石村義一。養母吉住(よしずみ)小乃、叔父吉住小三蔵、4世吉住小三郎(のち慈恭(じきょう))に師事。前名は吉住小三八。第二次世界大戦後、家元小三郎と袂(たもと)を分かち別派を樹立、14代杵屋(きねや)六左衛門と長唄清明会を組織する。1969年(昭和44)日吉流を樹立し、理事長となる。廃絶した古典長唄に深い関心を示し、杵屋栄二、11世田中伝左衛門とともに『俣野相撲(またののすもう)』『七騎落(しちきおち)』『釣狐(つりぎつね)』などを復活した。日吉会、紫紅会を主宰するかたわら、芦屋(あしや)大学教授として後進の指導にあたり、74年に重要無形文化財保持者に認定された。

[渡辺尚子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日吉小三八」の解説

日吉小三八 ひよし-こさはち

1907-1995 大正-平成時代の長唄唄方。
明治40年9月5日生まれ。4代吉住小三郎に師事。長唄の古曲復活,伝承につとめる。東京音楽学校(現東京芸大)助教授,芦屋大教授などもつとめた。昭和45年日吉流をおこし,吉住小三八から日吉小三八に改名。49年人間国宝。平成7年2月16日死去。87歳。東京出身。本名は石村義一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「日吉小三八」の解説

日吉 小三八 (ひよし こさはち)

生年月日:1907年9月5日
昭和時代;平成時代の長唄唄方
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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