日新塾跡(読み)につしんじゆくあと

日本歴史地名大系 「日新塾跡」の解説

日新塾跡
につしんじゆくあと

[現在地名]水戸市成沢町

加倉井砂山(諱は久雍のち雍、通称は淡路、砂山は号)成沢なるさわ村の自宅に開いた私塾。数棟あった書斎や塾舎は明治一〇年(一八七七)焼失、現在は県道水戸―茂木もてぎ(日光道)に近い屋敷跡居宅遺構土塁が残る。

加倉井家は代々成沢村の庄屋で、祖父久徴の代から郷士。砂山(一八〇五―五五)は成沢村庄屋・郷士(家禄五〇石)のほか、全隈またぐま村庄屋・山横目も兼ねた。父久泰の後を受け二〇歳頃から私塾を営み、没するまで門弟の教育に尽力。門弟の増加につれて規模を拡張し、敷地内に三楽さんらく楼・不知老斎ふちろうさい行伍ぎようご塾・万甫まんぽ楼・有隣ゆうりん館・日新塾などの塾舎を建てた。門弟の個性の伸張と時代の進運に即応する教育を目標とし、読書・習字・作詩作文・歴史・地理・窮理・兵学・剣術・砲術・馬術・教練などの科目を設け、また医書の収集にも熱心であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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