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藤田小四郎 ふじた こしろう

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美術人名辞典の解説

藤田小四郎

江戸末期の水戸藩士。東湖の四男。名は信、字は子立、小四郎は通称。幼少より父東湖に水戸学を学び、詩文にも長じた。広く尊王攘夷派志士と交わり運動に奔走し、田丸直允等と挙兵をはかったが敗れる。慶応元年(1865)歿、24才。

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デジタル大辞泉の解説

ふじた‐こしろう〔ふぢたこシラウ〕【藤田小四郎】

[1842~1865]江戸末期の志士。水戸藩士。東湖の四男。名は信。幕府の攘夷(じょうい)延期を不満として筑波山で挙兵。上洛の途中で降伏し処刑された。→筑波山事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤田小四郎 ふじた-こしろう

1842-1865 幕末の武士。
天保(てんぽう)13年生まれ。藤田東湖(とうこ)の4男。常陸(ひたち)水戸藩士。文久3年藩主徳川慶篤(よしあつ)にしたがい京都にいき,桂小五郎,久坂玄瑞(くさか-げんずい)ら長州の尊攘(そんじょう)派と交流。元治(げんじ)元年筑波山で挙兵して各地を転戦したが,越前(えちぜん)(福井県)で加賀金沢藩に投降し,2年2月4日処刑された。24歳。名は信。字(あざな)は子立。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤田小四郎

没年:慶応1.2.4(1865.3.1)
生年:天保13(1842)
幕末の筑波山挙兵の中心となった尊攘派水戸藩士。諱は信,字は子立,通称は小四郎。小野贇男と変名する。父は後期水戸学の大成者のひとりで天保改革派の藤田東湖,母は土岐さき,4男,庶子。12歳で父と死別,茅根伊予之介,原市之進らに学び弘道館に入る。文久3(1863)年春,藩主徳川慶篤の上京に従い桂小五郎,久坂玄瑞をはじめとする尊攘派長州藩士らを知り公家に入説するなど尊攘派として活動して江戸に戻る。文久3年の8月18日の政変後の尊攘派退潮のなかで尊攘実行を図るため,攘夷監察使有栖川宮熾仁の東下と鳥取,岡山両藩尊攘派の江戸での決起,長州藩家老の上京と呼応するかたちで水戸藩尊攘派の挙兵を桂や鳥取藩有志らと計画した。元治1(1864)年3月,田丸稲之衛門を盟主として筑波山で挙兵,10月,武田耕雲斎の軍と合流,京を目指したが,途中で金沢藩に降伏,幕命により敦賀で斬罪。書画をよくしたという。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじたこしろう【藤田小四郎】

1842‐65(天保13‐慶応1)
幕末水戸藩の尊攘志士。名は信,字は子立。小四郎は通称。藤田東湖の四男。幼時から父の薫陶を受け,のち江戸・京都に出て尊攘運動に奔走。長州の桂小五郎らと東西呼応して事を挙げようと謀ったが果たさず,64年(元治1)同志を募り筑波山に挙兵(天狗党の乱),天狗党の実質的指導者となる。水戸藩諸生党,幕兵らと次々交戦するも利あらず,同志と上京の途次加賀藩に降伏。翌年幕府により敦賀で処刑された。【鈴木 暎一】

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大辞林 第三版の解説

ふじたこしろう【藤田小四郎】

1842~1865) 幕末の志士。水戸の人。東湖の四男。名は信。小四郎は通称。1864年攘夷延期を不満として筑波山に挙兵。西上の途中、金沢藩に降伏、敦賀で斬られた。 → 天狗党

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤田小四郎
ふじたこしろう

[生]天保13(1842).水戸
[没]元治2(1865).2.4. 敦賀
幕末の水戸藩尊王派志士。藤田東湖の4男。名は信。通称は小四郎。元治1 (1864) 年攘夷親征を旗印として天狗党を結成。筑波山に挙兵したが幕府軍に敗れ,京都に向ったが加賀藩に捕えられ斬罪に処せられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤田小四郎
ふじたこしろう
(1842―1865)

幕末期の志士。水戸藩士藤田東湖(とうこ)の四男。名は信(まこと)、字(あざな)は子立(しりゅう)、通称小四郎、変名小野贇男(あやお)。尊王攘夷(じょうい)運動に参加、1864年(元治1)筑波(つくば)山に挙兵し、筑波天狗(てんぐ)党の中心人物の1人となる。各地に転戦するが利なく、上洛(じょうらく)の途中、越前(えちぜん)国(福井県)新保(しんぼ)で加賀藩に降伏、刑死した。墓は敦賀(つるが)市と水戸市常磐(ときわ)共有墓地にある。[秋山高志]

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世界大百科事典内の藤田小四郎の言及

【天狗党の乱】より

…水戸藩主徳川斉昭の下で改革政治に登場した者が天狗と呼ばれ,尊攘激派を中心とした天狗党は,保守派とくに諸生党と激しく対立した。1863年(文久3)8月18日の政変で尊攘運動が挫折すると,天狗党の藤田小四郎らは幕府に攘夷の実行を促すため,田丸稲之衛門を総帥として翌64年3月27日筑波山に挙兵した。当初攘夷祈願のため日光に向かうが,はじめから軍資金不足に悩まされ,近在の諸藩や豪農商に金穀を強要することが多かった。…

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