日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本左衛門」の意味・わかりやすい解説
日本左衛門
にほんざえもん
(1718―1747)
本名浜島庄兵衛(しょうべえ)。江戸中期、東海道筋で夜盗を働き、200人もの盗賊団の親分となり、日本左衛門と異名をとった。父は尾州家の家臣であったと伝わる。若くして放蕩(ほうとう)のため勘当され、遠江(とおとうみ)(静岡県)天竜川あたりの無頼仲間に加わった。押し込み強盗を働いたのは前後数年であるが、その悪事のため1746年(延享3)強盗としては例外的に人相書をもって御尋ね者とされた。それには、「年令二九歳、丈(たけ)五尺八寸ほど、色白く、鼻すじ通り、顔おもなが……」とある。京都まで逃れていたが、そこで町奉行所(ぶぎょうしょ)に自首し、江戸送りとなり、延享(えんきょう)4年(1747)3月、引廻(ひきまわ)しのうえ獄門となった。歌舞伎(かぶき)『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(白浪(しらなみ)五人男)の日本駄右衛門(にっぽんだえもん)のモデルとして知られる。
[稲垣史生]