日産生命保険(読み)にっさんせいめいほけん

百科事典マイペディア 「日産生命保険」の意味・わかりやすい解説

日産生命保険[相互会社]【にっさんせいめいほけん】

戦後初の破綻生保。1909年太平生命保険(株)として設立。1940年日産コンツェルン傘下に入り日産生命保険に改称するが,戦後相互会社として再発足し資本関係が断たれる。バブル期の拡大路線が行き詰まり,1997年4月大蔵省により業務停止命令を受け,清算(倒産)。債務超過額が〈保険契約者保護基金〉の上限を上回ったことから,処理策をめぐって紛糾し,保険行政の迷走ぶりを露呈した。契約は新会社・あおば生命(株)に包括移転されたが,一部保険金が減額され契約者に負担を強いる結果となった。生保への信頼が揺らぎ,経営危機をささやかれる中小生保の解約が相次ぐなど大きな影響を与えた。あおば生命は1999年11月,フランスの大手投資グループ,アルテミスの100%子会社となった。本社東京。→破綻金融機関
→関連項目ソルベンシー・マージン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日産生命保険」の意味・わかりやすい解説

日産生命保険
にっさんせいめいほけん

生命保険会社。1909年太平生命保険株式会社として設立。1940年に経営主権が日産コンツェルンに移り,日産生命保険と改称。第2次世界大戦で打撃を受け,1947年に日新生命保険相互会社を設立して再建に努め,1954年に日産生命保険相互会社に改称した。日産自動車,日立グループとの連携が強く,団体保険の比重が高かった。しかし,バブル経済の崩壊に伴う株価下落などで経営難となり,1997年4月に大蔵省から戦後初の業務停止命令を受け,同 1997年10月1日に解散した。なお,保険契約は生命保険協会が資本金 10億円で設立したあおば生命に引き継がれた。あおば生命は新規の保険販売を行なわず,日産生命保険から受け継いだ保険についての保険料の受け取り,解約,死亡保険金の支払い,資産運用など,既存契約の維持・管理だけを行なった。1999年あおば生命の全株式はフランスの持株会社アルテミスに売却され,日産生命保険の破綻処理は一応の決着をみた。2005年2月,あおば生命は外資のプルデンシャル生命保険に吸収合併された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日産生命保険の言及

【保険業】より

…これらの動きは従来からの,いわゆる保護行政が終わったことを意味する。 上記のような環境変化の結果,1997年に大蔵省は日産生命保険相互会社に対し,戦後はじめての業務停止命令を出した。それに伴い,新保険業法に基づく契約者保護基金制度を利用する処理策が出されたが,この制度は98年末により広範な破綻処理策である保険契約者保護機構に変わる。この機構は,生命保険と損害保険で別個につくられる保険業法で定められた法人で,保険会社の破綻に伴い保険契約の移転などの円滑な実施のため,救済保険会社に資金援助を行うほか,救済会社が現れる見込みのない場合においては,自ら破綻保険会社に係る保険契約の移転を受け,保険契約の管理および処分を行うことなどにより,保険契約者の保護を図るものである。…

※「日産生命保険」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android