明忍(読み)みょうにん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「明忍」の意味・わかりやすい解説

明忍
みょうにん
(1576―1610)

江戸初期、廃れていた律(りつ)を復興した真言(しんごん)宗の僧。字(あざな)は俊正。京都の人。高雄山(たかおさん)神護(じんご)寺の晋海(しんかい)のもとで密教を学び、21歳で出家した。西大寺の友尊らとともに高山寺で自誓(じせい)受戒戒師がいないとき、仏前で自ら誓って大乗戒を受けること)した。また、槇尾山平等心王院(まきのおさんびょうどうしんおういん)を復興し、そこに住した。1607年(慶長12)に教えを求め明(みん)に渡ろうとしたが、対馬(つしま)で病になり他界した。明忍は律学の中興ともいわれている。また、思想的には律と真言宗の思想を統合した立場をとり、その思想的流れが真言律宗となっている。

[由木義文 2017年10月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「明忍」の解説

明忍 みょうにん

1576-1610 江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)4年生まれ。京都神護寺の晋海について出家。寥海(りょうかい),友尊と律の復興をこころざし,奈良西大寺でまなぶ。高山寺で自誓(じせい)受戒。廃寺となっていた京都槙尾(まきのお)の西明寺に庵をむすび,真言律宗の中興の人となった。明(みん)(中国)にわたるため,対馬(つしま)に滞在中の慶長15年6月7日病死。35歳。京都出身。俗姓中原

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世界大百科事典(旧版)内の明忍の言及

【律宗】より

…13世紀後半に律宗の布教流布はいちじるしく,叡尊の弟子忍性などにより関東にも及び,日蓮から〈律国賊〉と批判されるほどその実践力が評価されたし,東大寺戒壇院を中心に円照やその弟子凝然(ぎようねん)などの人材が輩出した。しかし以後みるべき活動はなく,江戸時代の初め,洛西槙尾平等心王院の明忍(1576‐1610)が退廃した戒律の復興をはかった以外にみるべきものはない。現在唐招提寺に律宗,叡尊以来西大寺に真言律宗が伝えられている。…

※「明忍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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