デジタル大辞泉
                            「明石城」の意味・読み・例文・類語
                    
                
		
    
        
    出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    あかし‐じょう‥ジャウ【明石城】
        
              
                        - 兵庫県明石市にあった平山城。元和三年(一六一七)、小笠原忠真が一〇万石を封ぜられ築城。石塁、内濠、櫓が現存。人丸城。喜春城。錦江城。鶴城。
 
    
        
    出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    あかしじょう【明石城】
        
              
                        兵庫県明石市明石公園にあった平山城(ひらやまじろ)。江戸時代に小笠原忠真(ただざね)が築城。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。1617年(元和3)、徳川家康の外孫にあたる小笠原忠真が大坂の陣の軍功により10万石を与えられ、信濃(長野県)松本から船上城(ふなげじょう)(同市)に入城した。翌年、2代将軍徳川秀忠から西国の大名を抑えるため新城造営を命ぜられ、畿内と中国・四国を結ぶ要衝であるこの地を選んだ。幕府からは普請費用として銀1000貫目が与えられ、瀬戸内海を望む丘陵上に、本丸を中心に二の丸・東の丸・三の丸・稲荷曲輪(いなりぐるわ)を設け、本丸の四隅に櫓(やぐら)を築いた。天守閣は台のみで建立しなかった。築城当初の坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城(京都府京都市伏見区)の櫓を、また巽(たつみ)櫓は船上城の櫓を移したものと伝えられる。1620年(元和6)に築造を終え、忠真は船上城から明石城に移った。その後、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家を経て、1682年(天和2)に越前松平家が入封して明治維新にいたる。明石城は1869年(明治2)に廃城となったが、巽櫓・坤櫓(ともに重要文化財)ほか天守台・石垣・堀などが現存し、県立明石公園として公開されている。阪神淡路大震災で石垣・櫓などが破損したが、修復された。JR山陽本線明石駅または山陽電鉄明石駅から徒歩3分。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報
	
    
  
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    出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
	
    
  
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