明神浜
みようじんはま
放生津潟北辺から東方海老江村にかけての海浜。江戸時代には明神新村・古明神村・新明神村などがあった。地名は古明神村に京都下賀茂社領があったことによるという(越中志徴)。放生津潟水の吐水のため明神堀切と海老江堀切があり、満水時や洪水時に切開き潟水を吐水した(「放生津内川々浚申付定」高田家文書)。浜に沿って浜往来が通り、永禄(一五五八―六九)頃には明神堀切に関所が設けられていた(「七高紺屋過書」北徴遺文)。
明神浜
みようじんはま
[現在地名]雄勝町明神
雄勝浜の東、明神山の南麓で、雄勝湾に南面する漁村。立岩・沼尻の集落がある。正保郷帳に村名がみえ、畑七七三文のみで柴山と注される。「封内風土記」では戸数一二、塩焼場・釜一区。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 